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死花-第5話-④
「うわ〜」
眼前に広がる瀬戸の海に、絢音は感嘆の声を上げる。
「波も穏やかで、キラキラして、綺麗やなぁ〜」
「砂浜…降りてみて良い?」
「うん。足元、気ぃつけや。」
言って、藤次は先に石段を降り、絢音に手を差し伸べる。
「花…ええのあって、良かったな。」
「うん。」
海風に髪を揺らしながら、白い百合の花束を抱えた絢音は、波打ち際に行き、ゆっくりとそれを浮かべる。
「足…浸けちゃおうかな?」
「冷たいで?」
藤次が心配そうに言ったが、絢音は靴と靴下を脱ぎ、スカートをたくしあげて脚を海水につける。
「冷たい…けど、気持ちいい。」
久しぶりに踏み締める砂浜の感触に気分が高揚し、ジャブジャブと波をかき分け突き進む。
無邪気にはしゃぐその姿を眩しそうに見つめていた藤次だが、徐々に遠くなっていく彼女を見つめている内に、あまりにも美しく輝くその姿に、不意に…このまま泡のように消えてしまうのではと言う不安が込み上げてきて、藤次は砂浜を蹴る。
「(藤次…辛い思いさせて、ごめんね…)」
涙ながらに、幼い自分に謝罪する、母皐月の顔が脳裏によぎる。
「(お母はん、ずっと待ってたんえ?アンタが来るの…待って、待って、ずっと泣いてて…せやのに、アンタは…)」
葬式の際、涙ながらに訴える姉恵理子と、棺の中の儚げな母の死に顔。
もう、大切なものが掌からこぼれ落ちるのは、見たくない…
「絢音!」
「!」
ズボンが濡れるのもお構いなしに海に入り、振り返った彼女を抱きしめる。
「良かった……おった……」
「と、藤次さん足!濡れてる!」
「かまへん。暫く、こうさせて…」
「でも…」
見上げた絢音の顎を引き寄せキスをすると、ハラリとスカートを握っていた手が落ちて、藤次の腕に回される。
「ワシを置いて…どっか行くんは…やめてくれ。」
「藤次さん…」
酷く怯えた顔をした藤次に戸惑いながらも、絢音は彼の広い背中に手を回す。
「上がりましょう?風邪、ひいちゃう。」
「嫌や…離したない。」
「でも…」
どうしたものかと考えあぐねいていると、身体が浮き上がり、藤次の腕の中に抱きかかえられる。
「暖かい…」
硬い胸板に顔を寄せると、波の音に混じって、静かに、藤次の心音が聞こえてきて、それがとても安心して、絢音は瞼を閉じる。
浜に座り、ハンカチで脚を拭いていると冷たい海風に身体を撫でられ、小さくくしゃみをすると、藤次は着ていたジャケットを脱いで、彼女に被せる。
「いいわ。藤次さんだって濡れてる。」
「構へん。お前に何かあったら、ワシ…きっと、狂ってまう。」
「そんなの…あたしだって、藤次さんに何かあったら、生きていけない!」
ゴウッと、絢音の声に呼応するかのように、一際強い海風が吹き、彼女の髪が波打つ。
「好きや…愛してる。せやけどもう、これじゃ、足らへん。ワシ、これからどうやって、お前に気持ち…伝えたらええんや?教えてくれ…」
「なんで…そんなに、想ってくれるの?私、あなたに何もしてあげてないのに、何一つ、応えてあげられないのに、なんで…」
「アホか!!!」
「!!」
今まで聞いた中で一番大きな藤次の激昂に、絢音は思わず目を見開く。よく見ると、藤次の頬に…泣きぼくろの道に、光る一筋。
「何で…あたしなんかの為に、泣くのよ。」
「そんなん、お前がアホやからや。お前は、自分のこと直ぐなんかって言いよるけど、ワシにとってお前は、ワシに…人を好きになる喜びも辛さも教えてくれた。ワシに、こんな、どうしょうもないワシに、惜しみなく、愛情をくれた。笑ってくれた。大事にしてくれた。せやから……ワシの全て使って、お前を、どんなことからも、守ってやりたいんや。」
「でも、あたし…できないから…」
「そんなん、もう…どうでもエエ。せやからもう、自分を卑下すんの、やめてくれへんか?過去も大事やけど、ワシと歩くこれからを、大事にしてくれへんか?」
「…うん。」
「ええ子や。」
そうして見つめ合い、藤次の手が耳に触れたので、絢音は瞼を閉じ、何度交わしたか分からないほど重ねた、藤次の唇の柔らかさに酔いしれる。
愛しくて愛しくて、涙に濡れた黒子にキスをして、胸元に頭を引き寄せる。
「生まれ変わっても、また…ワシのとこに、来てくれるか?」
「そんなの嫌…あたしの藤次さんは、あたしが愛したあなたは、1人だけ。生まれ変わりなんて嫌。ずっと…この姿のまま、あなたと、一緒にいたい。」
「ほんなら、墓…作ろか?」
「えっ?」
瞬く絢音に、藤次は顔を上げ、彼女に笑いかける。
「ここに、お前の生まれたこの街に、墓を…ずっと2人で一緒におられる家を、作ろ?」
「でも、棗のお墓は?お父様のお墓だって…」
「そんなん、どうでもええ。誰にも、たとえ血を分けた家族でも、邪魔されとうない。お前と2人きり、永遠に…一緒におりたい。もう、ワシの家族は、お前だけや…」
「…………嬉しい。」
破顔する絢音を抱きしめて、寄り添って、夕日に照らされる瀬戸の海を眺める2人の影が、徐々に伸びていく。
「ん?」
「どうした?」
「いや、何か光って…」
不意に絢音が声を上げたので問うと、彼女は砂浜から何かを拾い上げる。
「指輪?」
「見してみ?」
頷き、藤次に指輪を渡す絢音。
所々錆びて、珊瑚の付いたリングの内側を見やると、辛うじて見えたのは、2つのイニシャル。
「DtoE…with…LOVE。結婚指輪やな。」
DtoE。
そのイニシャルに、絢音は目を見開く。
「それ、私の両親のかも…」
「えっ?」
瞬く藤次に、絢音は続ける。
「Dは、大輔。Eは、英子。お父さんとお母さんの、名前…」
「そんなこと…あり得るか?」
訝しむ藤次に構わず、絢音は彼から指輪を受け取ると、大事そうに抱き締める。
「あり得なくても良い。違ってても良い。でも、これが本物だって、信じたい。そうすれば、やっと…本当の意味で、泣くことができる。」
「絢音…」
夕日に照らされ、きらりと光る涙の粒を指で掬いながら、藤次は優しく微笑む。
「良かったな。家族、見つかって…」
「うん……」
頷き、絢音は藤次の胸に顔を埋める。
すると不意に、藤次の腹が小さく鳴るので、絢音は思わず吹き出す。
「やだ…もうお腹空いたの?」
「もうて、18時やん。そら、空くわ。」
時計を見ながら照れる藤次に、絢音は優しく笑いかける。
「じゃあ、ご飯、食べに行こ?今度は私、カレーが良いな。」
「噂の海軍カレーか…よっしゃ、早速スマホで、店検索しよ!」
「うん!」
身体に付いた砂を払い、浜を後にする2人。
やや待って、絢音は静かに振り返る。
「あたし…幸せになるから、見ててね?」
「絢音。行くで?」
「うん!」
そうして、父母の眠る大海に別れを告げ、2人を乗せた車は、夜の帳に静かに、溶けていった…