普通とは何か
前書き
最近よく考えるのです。「普通」とは何なのかを。
そんなこと考えても答えなど無いことは分かっているのですけどね。w
それでも私が今までずっと考えてきて、今の自分が考える「普通」とは何かについてここで語らせて頂こうと思います。まだまだ人生経験も浅く未熟者ですので「頑張って考えたんだなぁ」くらいの暖かい目で見ていただけると幸いです。
「普通」
私は「〜出来るのが普通」だとか「普通なら〜なのに」とか人生の行動を「普通」というものと比べられる事がすごく嫌いです。「何故自分の行動が『普通』というものに縛られないといけないのか」などと考えてしまいます。
「普通」という言葉の本来の意味は「ありふれたものであること、他と異なる性質を持っていないさま。」という意味ですが、私はこれを見て思いました。「そもそも定義すら曖昧な言葉なのでは?」「何故、他と異なっていてはいけないのか。」と。人間である以上一人一人が異なった性質、性格、容姿を持っていて当然です。なのに世間は周りと異なったものをしていると、「普通」という言葉を使って縛ります。「個性を尊重すべき」などと論じるくせに少し周りから逸脱すると「普通」と言う言葉を使って動き封じる。そんなの理不尽ではないでしょうか?確かに周りと共に行動し、社会の中で生きてゆく為には協調性や周囲を慮って行動することは大切です。しかし社会や周囲に迷惑をかけなければ周りと異なったことをしてもいいのではないかと思います。それでも「おかしい、普通じゃない。」なんて言ってくる人は自分の世界を人に当て嵌めている「自己中心的な人」なのではと思います。
最後に、
私は「普通」という言葉が嫌いです。大嫌いです。
「普通」という言葉に縛られて自分の個性を縛って潰したくありません。私は思うのです、「法を犯さず周囲に迷惑をかけなかったら自分の個性を出しても良いでは無いですか。自分らしく生きていきたいではないですか!」と、きっと今後も多少考えは変わっても根っこの所にあるこの思いは変わらないと思います。
ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。