2022年4月公開新作映画感想まとめ

モービウス

 科学実験の失敗で怪物と化してしまった主人公とその親友が、思想の違いから戦い合うというアメコミで擦り倒されてきた定番のプロットに則ったどこかでみたような脚本の作品ながら、変にもったいぶらずに次の展開へとテンポよく進む話運びと、これまたテンポの良いスピーディなカット割りのアクションシーンのおかげで、アメコミ映画らしい楽しさがギュッとパッケージングされた快作へと仕上がっている。ストーリー自体はある種古典的とも言える新規性の薄いものだが、主人公のマイケルや彼と戦い合うこととなる親友のマイロの心情描写が堅実にしっかりと積み上げられていく脚本になっているため、丁寧で堅牢な印象の物語になっている。

 超人的な身体能力と引き換えに主人公に課せられた、人間の血への吸血衝動が自身の開発した人工血液で割となんとかなってしまうという展開の緩さは、同じユニバースを共有する『ヴェノム』で見られた主人公と体を共有する怪人ヴェノムの食人衝動がチョコレートでなんとかなってしまう展開と重なって見えるのだが、このあたりの設定の緩さはこのユニバースのご愛嬌と思って飲み込むべきなのだろう。

 個人的には主人公・マイケルの親友・マイロが、ヴィランへと身を落としていく展開を描くうえで、マイロがマイケルに抱いていたコンプレックスをセリフで軽く触れる程度にとどめているのは致命的な描写不足だと思うのだが、このあたりの不満をマイロを演じるマット・スミスが匂い立つような色気で吹き飛ばしてしまっており、役者のオーラの力を強く感じる。昨年公開の『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でもそうだったが、マット・スミスの彫りが深すぎる顔立ちは、人を闇に引きずり込む役柄との相性が抜群に良い。ぜひ、今後も追いかけたい俳優である。


ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密

 『ハリー・ポッター』シリーズの前日譚にあたる『ファンタスティック・ビースト』シリーズの第3弾。前2作を経て、スタッフが勘所を掴んだと感じさせる作品で、これまでの3作の中では最も出来が良い。特に、後半のブータンでの最終決戦において、それまで描かれてきた国際魔法協会会長の座を巡るグリンデルバルドとダンブルドア陣営による複雑な政治戦が、市場から選挙会場へ一直線に繋がったブータンの街を舞台にした麒麟の奪い合いという、映画的に非常に整理された構図に落とし込まれる流れが実に美しい。また、本作の鍵となるこの麒麟についても、序盤から丹念に描写が積み重ねられることによって、単なるマクガフィン以上の存在になっている点も好印象だ。一方、「未来予知を駆使するグリンデルバルドに対抗するために各人が無計画に行動して、グリンデルバルドを撹乱する必要がある」というエクスキューズがあるものの、ブータンでの最終決戦に至る前までの展開が、この最終決戦にほぼ生きてこない点は少し残念。

 キャスト陣で注目したいのは、降板したジョニー・デップに代わってグリンデルバルドを演じるマッツ・ミケルセン。狂気とタフさ、そしてカリスマ性が特徴だったジョニー・デップ版グリンデルバルドに対し、マッツ・ミケルセン版グリンデルバルドは冷徹さと高い知性が強調されているが、国際魔法協会を舞台にした政治劇がメインの本作においては、マッツ・ミケルセンの方が作風に合っていると感じる。また、本作の肝であるダンブルドアとの愛憎入り交じるやり取りからの決別を描くうえでも、悪役としてのタフさが全面に出ているジョニー・デップよりも、冷酷な表情の奥にちらちらと憂いと悲しみが顔を覗かせるマッツ・ミケルセンの方が、本作のグリンデルバルドにはマッチしている。ただ、一方でジョニー・デップなら本作のグリンデルバルドにどうアプローチしただろうと思いを巡らせてしまうのも事実だ。ただ一点、いくらでもファンタジー的な設定追加が可能な作品なのだから、この重大なキャスティング変更に対して、何らかの劇中でのフォローがあっても良かったのではないかというのが唯一の不満点である。

 主人公・ニュートの魔法生物探しが物語の主軸とあまり上手く交錯しないせいで話が散漫になっていた第1作から考えると、ニュートのダンブルドアの優秀な右腕としての側面が強く出てきた前作および本作は、物語の見やすさが格段に上がっており、映画としてのクオリティーは上昇していっている。その反面、その自由奔放な魔法生物オタクっぷりがニュートというキャラクターの核であったがゆえに、作品を追うごとに彼自身の物語中での存在感が薄くなっていっており、本作では主人公はニュートであるものの、物語の主導権は明らかにダンブルドアが握っている。このようにシリーズ全体の流れからすると、徐々に歪みが生じ始めているように思われるのだが、このあたりがシリーズ完結に向けて、どう転がっていくのかに注視していきたい。


補足レビュー

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

 イギリスからアメリカへと渡ってきた魔法生物学者ニュート・スキャマンダーの冒険を描いた作品。本作の本筋は凶暴な魔法生物である「オブスキュラス」を巡る、ニュートと悪の魔法使いグレイブスの戦いのはずなのだが、かなり終盤まで、ニュートが自身が逃してしまった魔法生物たちを捕まえるというメインラインとはあまり関係のないミッションをこなす姿が描かれるため、あたかも2本の物語が並行して進行しているような変わった立て付けの映画となっている。ただ、このように書くと、物語が空中分解してしまいそうに思えるが、蓋を開けてみると最後にはこの2本のストーリーが一つの結末にしっかりと着地し、物語を自由奔放に引っ掻き回していたニュートも最後にはちゃっかりとヒーローポジションに収まり、ラストにはなんとなく大団円な雰囲気が漂って、満足感を持って鑑賞を終えることができる。ウェルメイドな脚本というよりは、演出と勢いで観客をうまく丸め込む手腕に長けた脚本といった感じで、さすがJ・K・ローリング、うまく化かしてくれるものである。

 ハリー・ポッターと同一の世界観を共有しているものの、ホグワーツやダイアゴン横丁のような魔法界の描写はかなり少なめで、魔法の箒も一切出てこないため、同じユニバースであることを視覚的に感じるタイミングはあまり多くない。一方で、前述の通り、ニューヨーク各地に逃げ出した、様々な不思議な能力を備えた魔法生物たちをニュートたちが捕まえていく展開に尺的にも演出的にも非常に重きが置かれており、ここにセンス・オブ・ワンダーの楽しみを見出だせるかどうかが、本作を愛せるかどうかの分水嶺になっている。

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

 新シリーズ1作目として、次回作への布石を匂わせつつもある程度単品としてまとまっていた前作とは異なり、連作の中の一編としての作品作りに大きく移った感のある一作。そのため、次回作への期待は前作よりも何倍も煽られる作りになっているが、その一方で1本の映画としてはかなり尻切れトンボになっているところが少し痛い。また、前作ラストで退場していったキャラたちが割と雑に復帰しているケースが散見され、強引に1作目から話を繋げてきた感が若干否めない。

 約2時間半の超大作ながら、脚本の枝葉末節を除いて本筋だけ取り出してみると、脱獄した悪の魔法使い・グリンデルバルドが魔法界へ宣戦布告をするという非常にミニマムな物語になっており、1本の映画として話が進んだ感が薄い。また、序盤から引っ張ってきた謎を終盤にひたすら回想シーンで説明するという立て付けの映画になっており、あまり語り口が上手くないように思われるのも残念なところ。主人公たちが魔法界における知識を駆使して謎を追っていくため、彼らの行動目的が要所要所で、ライトなファンからすると不明瞭になってしまうのも難点だが、同様の問題は前シリーズにあたる『ハリー・ポッター』シリーズの後半でも見受けられたので、これは長期シリーズのファンタジー作品の宿命として目をつむるべきなのかもしれない。

 と、このようにあれこれと不満は多々あれど、本作ではホグワーツ魔法魔術学校やダンブルドア先生を始めとするお馴染みのキャラクターなど、『ハリー・ポッター』シリーズとリンクする要素が多く登場するため、シリーズを追ってきたファンとしては盛り上がるポイントがたくさん用意されているのは嬉しいところ。また、前作では本筋から若干乖離してしまっているせいで物語の進行を停滞させていた魔法動物たちの活躍が、本作ではしっかりと本筋に組み込まれ、かつ、短時間でピンポイントに魅せるように演出が改良されており、この点も評価したい。

 また、ダンブルドアとグリンデルバルドを演じるジュード・ロウとジョニー・デップが非常に良く、この2人のオーラのおかげで作品の面白さがかなり底上げされている。ダンブルドアのカリスマ性と人たらし感、そして若干の胡散臭いキャラクター造形は『ハリー・ポッター』シリーズでのダンブルドアとの繋がりを確かに感じさせ、さらに、これに若かりし日のダンブルドアの憂いと色気をジュード・ロウが的確に加えることで、本作のダンブルドアはさらに深みのある実に魅力的なキャラクターに仕上がっている。一方、前作ではちょい役だったジョニー・デップも本作では全編を通して登場し、悪のカリスマとしての説得力を抜群の存在感で体現している。とくにクライマックスはジョニー・デップの熱演が無ければ、かなり退屈なシーンになっていたであろう。

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