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『ママ友、怖い』と『エヴァンゲリオン』
偶然目にした4コマ漫画『ママ友がこわい〜子供が同学年という絶望〜』を、少し前に読みました。ウチは(一応)子育ては終了していて、3人の子供も、23、21、19なので、距離を置いて読めたけど、それでも読んでいて『辛い』漫画です。中身がつまらなくて『辛い』んじゃなくて、内容はめちゃくちゃ面白い。子供が小さかった頃、この漫画のエピソードに近い体験は、したことあります。きっと子育て中や、子離れした人でも、多かれ少なかれ覚えがある経験。
「マウンティング」「大人のいじめ」「ママ友カースト」・・いろんな言い方があるけれど、要するに狭いコミュニティ内での煮詰まった人間関係がもたらす「食うか食われるか」の仁義なき戦い(大袈裟な性格ですが、なにか?)
女性は、子供を産むと「オキシトシン」というホルモンがたくさん出て、母乳の出川哲郎、もとい、出が良くなったり、幸福感が高まったりするそうですが、一方でそのホルモンのせいで、(子供を守る為に)攻撃的になったり排他的になったりするそうで、「マウント」する準備は万端な状態になります。私も経験がありますが、きっとその世界・・「ママコミュニティ」から縁遠い人にとっては、信じがたいような理由で「マウンティング」「ママいじめ」「ママ友カースト」は存在します。
何を隠そう、私も、ママ友の家に乗り込んで喧嘩したことがあります。理由は本当に「バカらしい」を、通り越して「滑稽」極まりないんですが・・その時は「子供のメンツが潰された!」と思って頭に血が上ってしまって・・・あははσ(^_^;)
自分が侮辱されたように感じるんですよね。その喧嘩は、相手も話し合ってくれたので最後はお酒を飲みながら別の「ママ」の悪口になったんですか・・(救いようがないアホでしょ?)
その漫画の主人公は、すごく仲良くしていた「ママ友」が、だんだんと意地悪したり無視したりしてくることに戸惑います。最初は気のせいと思っていた(思いたかった)相手の悪意が、確実に自分に向けられていて、気づくと周りにいた2番手3番手「ママ友」達は、向こうの陣営についていて、1人疎外されます。
幼稚園の入り口で輪になって喋っている彼女達の横を、挨拶して通り過ぎても、1人気の弱い「ママ」が軽く会釈するのみ。それでも、精一杯の笑顔で挨拶するのが、相手の意地悪に対するせめてもの『抵抗』。
幼稚園の夏祭りの準備の時、主人公が買い出しに行った「紙コップ」に、「中身が見えない。去年のは透明のプラスチックコップじゃ無かったっけ?買う前に確認すればよかったのに・・・」と、イチャモンつけてくる「ママ友」。「白でも透明でどっちでもいいじゃん。ただ文句つけたいだけでしょ・・」と、心の中で思う主人公。相手に言いたいけど、子供がいじめられたらと思うと、作り笑顔で、「買いなおしてくるね・・」と、言うだけ。・・・辛い。読むのが辛い。主人公に同情し、「ママ友」に腹が立って仕方がなくなった頃、漫画はその「ママ友」の内面に焦点を当てます。
「2人目」の子供がなかなか出来ない事に焦りを感じていた彼女。「不妊外来」の話になった時、主人公が「若いんだから、そこまでしなくても!」と、笑った事が、きっかけでした。その時すでに、受診を続けていた彼女は、傷つきました。追い討ちをかけるように、彼女の夫が主人公のことを「若くて可愛い」と無邪気に褒めた・・。
その後もお遊戯会で、主人公の娘はセンターなのに彼女の娘は端っこという事があり、憎しみの感情が心の中で育っていく。主人公の困った顔や、悲しそうな顔は、彼女の満たされない心に束の間の満足感をもたらす。抑えがたい嗜虐を感じている時こそ「生きている」と感じる。
彼女の「いじめ」は陰湿かつ巧妙で、読んでいて腹が立つけれど、彼女自身は、逆に「自分は被害者なんだから、このくらいの意地悪いいでしょ?」くらいの認識です。お腹に2人目ができて、彼女はやっと「勝った」と、ホッとします。これなんですよね。水面下で、「ママ」達が繰り広げるマウントの正体。子供の数、性別、兄弟間の歳の差・・公には誰も言わないけれど、『運』が左右する「子供」の事。産むまでも、産んでからも、有形無形の形で「ママ」達にプレッシャーをかけてくる周りの人間に対して、いつのまにか全ての責任を一人で背負っている。周りが期待する子供の数、性別、歳の差を、実現しようとするけれど、そもそもコントロールできるようなものではないから、辛いし、孤独が深まる。
この期間は、「ママ」にとって、アイデンティティが揺らぐ、危険な時期だと、自分を振り返ってみて思う。家では初めて経験する「育児」に奮闘し、外では涼しい顔で「良いママ」を演じる。「○○ちゃんのママ」と、呼ばれる自分の方が、子供みたいに「お母さん!」と泣きたいのに・・・。
「子育て」期間は、若いママ達にとって、避けて通れない摩訶不思議な世界。付き合う人種によっては、変な「化学反応」起こして、自分の中の「意地悪」な部分が力をつけて、弱者を攻撃したりしてしまう。
チキンレースとも言えるかも。
恥ずかしいけれど、私もそういうところがありました。子供が大きくなるにつれ、「ママ」自身も学校や部活や習い事や、パート先などで人脈が広がり、自然と「ママ友」とも距離ができ、いつのまにか自然消滅するんだけどね。今日も「ママ友」達のパーティーは続く。
☆
「エヴァンゲリオン」っていうアニメがあります。社会現象にまでなった(らしい)アニメだそうです。そのリアルタイムの頃、私は結婚、出産、育児と忙しい日々だったので、その「社会現象」の外野だったんですが。そうじゃなくても、興味は持たなかったな〜。アニメは好きで、10代は「隠れオタク」だったけど、『エヴァンゲリオン』は、なんか「若い世代」の「アニメ」って感じで。しかし、最近、岡田斗司夫という自称「オタキング」で、プロデューサーで文筆家のYouTubeを聞きながら、家事をするのが日課になってるんですが、「エヴァンゲリオン」の事を語る回で、『エヴァンゲリオン』の『エヴァ(eve)』とは「イブ」・・すなわち女性という意味で、しかも「母親」の事を表していると言っていました。え、まじ⁈そうだったんだ〜。
岡田曰く、エヴァンゲリオンの中には、パイロットの子供(全員14歳)の母親(科学者)が、開発の実験段階で取り込まれていて、ロボット(正確には、ロボットではないんですが)と、一体化している。そして、それを操縦できるのはその女性の子供だけという設定なんだそうです。はぁ〜・・斬新な設定なんですね。で、乗り込んだパイロットと、エヴァンゲリオンは、なんか複雑な装置で繋がって、精神がシンクロして敵に立ち向かう。エヴァンゲリオンの、力の源は、「子供を守る母の強さ」。だから、時には過剰に防衛して暴走することもあるそうです。
きっと『エヴァンゲリオン制作会議』の時、監督の庵野秀明と、その他なんか偉い人達は、こう考えたんじゃないでしょうか・・・
もし、人類を破滅させる外敵がやってきたとして、そいつと互角に戦えるような、地球で1番強い生き物がいたとして、さらにその生き物の中で1番強いのは、『子供を産んだばかりのメス』だよね。と。
その会議にいたわけではないけど、当たらずとも遠からずってところなんじゃないでしょうか?いや、絶対そうに決まってる!
庵野の、考えは『正解』でしたね。(呼び捨て、御免)エヴァンゲリオンの世界観の1番コアな部分を、「母性の凶暴さ」に据えたことで、ヒットしたんでしょ。あとは「人類補完計画」やら、綾波やら、なんやら・・。
母と子が一体になって戦う事は、シンクロ率が高まって良い面もあるけど、母が子供を自分の中に取り込んでしまって、子供をダメにするデメリットも、ある。危険と紙一重なんですね。パイロットが14歳というのも、絶妙な設定ですね。子供から大人に脱皮する、1番無防備で危険な時期。成長のエアポケット。母の言うことを聞く、ギリギリの年齢ですね。
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地球を襲いにきた敵を、倒すために使われるほど凶暴な『母性』を、「ママ」は、みんな持っている。「ママ友」が怖いのは当たり前・・ですね。でも、ほとんどの「ママ」は、みんな優しくて良い人なんですよ〜!本当に本当に (o^^o) 20年経つと、そう思える (^ ^)