猫道が敬愛する6人の独演家
11月末まで野外ライブと無観客配信以外のライブを休止することにした。出演予定が2つしかないので、空いた時間で少し整理をしたい。今回文章に書いてまとめておきたかったのは、自分はソロパフォーマーとしてどんな演芸をやっていきたいのか。
整理の仕方は単純で、これまで共演したソロのライブパフォーマーの中で特に好感を持っている人について書き連ねていくことにした。自分が惹かれた理由を並べれば、自分が舞台に立つ時に大切にしていることも見えてくるはずだからだ。6名のアーティストを2人ずつ紹介していく。中には一度しか共演したことがない人もいるため、自分は彼らの詳しいファンではない。あくまで一人の舞台人として惚れ込んだポイントを書いていこうと思う。
〔 1 〕田中光(たなかひかる)/ 北村早樹子(きたむらさきこ)
最初の2人は声が印象的な独演家。まず、田中光くんはラッパーである。渋谷EARで行われたMOROHAのイベント【あなたと渡詩】で共演したことで出会って、自分のイベント【猫道節】に2回ほど出てもらった。まず、人間性がとてもさっぱりしていて、一部のラッパーにありがちなミソジニーは皆無である。そして、キッズだった頃の爽やかな情熱をキープしており、柔軟。今は少しスタイルが変わっていると思うが、かつてのライブでは高速フリースタイルで盛り上げるところも好きだった。一番惹かれたのはデリバリーで、詩を歌フロウに乗せて届けるのが流麗。気持ちの昂りに合わせてフロウが川のように心地よく流れていく。言葉として聴き取れるけど音としても楽しめる絶妙なバランス感覚を持っていると思う。
続いては北村早樹子ちゃん。彼女はピアノ弾き語りのシンガーソングライターで、東新宿LOVE TKOで行った猫道+千絵ノムラ 共同企画【歌詠む魚】で初共演した。当時 猫道一家でフロントウーマンをやっていた千絵ノムラの友人で彼女がブッキングしたと思う。最初にライブを観た時から食らってしまい、その後は【ニューヒーロー猫道節】【猫道ガールズロックフェス】などいろんなイベントに出てもらった。既に熱心な固定ファンがいるのにわざわざ混沌とした猫道企画に出てくれてありがたかった。彼女の芸の特徴は、健康面や家庭環境など難儀なことも多かったであろう経歴とはうって変わってユーモラスなところ。そして、歌の世界に入るととんでもないエモーションの洪水が細く高い声に宿るところ。つまりギャップ尽くし。ライブでは洪水に飲まれる感じがする。それはとても気分が良い。
わざわざこの2人を分けずに一括りにした理由は、「声に引力がある」「エモーションが声に乗る」という点で抜群の魅力があると思うから。当然、日本語圏以外にも伝わると思う。
〔 2 〕志人(しびっと)/ 日比谷カタン(ひびやかたん)
続いての2人は総合芸術家。志人さんは2000年代に頻繁にライブを観に行っていた降神というラップグループのMCの一人で、ソロになってからラッパーの異次元くんのイベントやsorarinoくんのイベントで共演させてもらった。ファンだった人が同じタイムテーブルの中にいるのは不思議な気分だった。今でもラッパーという括りで紹介されることがあるが、そういったタグ付けが無意味に感じるほどオリジナル。超絶技巧による韻を踏みまくったフリースタイルや尋常じゃない美メロの歌フロウ、時に暗号のようであり時に寓話のような幻想的な詩世界など特徴は多いが、共演して一番印象に残ったのはそれらの技巧や世界観を支える強い美意識だった。ちょっと言い方を変えると狂気というか。なぜここに至ったのかの経緯や深淵をあまり覗き込んではいけないような怖さがあった。その異様な迫力でもって一人で世界を創れる。間違いなく日本一のMCだと思う。
一人で世界を創れる独演家のもう一人は日比谷カタンさん。アコースティックギターの弾き語りをする方だが、そんな括りは本当にどうでもよくなる程の独自性を持った存在。初めて観たのはやはり2000年代だった。友人のたかのちゃん(現 ヤマダナナ)が観せたいものがあるといってライブに連れて行ってくれたのだった。それから随分経って自分もソロになって、一度だけ高円寺U-hAのブッキングでご一緒させてもらった。グッドミュージックジャンキーから熱い支持を得ている人なので当然ギターのスキルは一級なのだろうけど、俺は音楽がよくわからないのでそこはスルー。最高だと思ったのはMCから曲から風体まで全部がショウであるところ。「曲」といっても、複数の声を使い分け、配役や世界観の設定が細かく決まっていたりしてとっても演劇的なのだ。あと、諧謔精神と毒と美しさのバランスが素晴らしい。ある一定の方向に深堀りしてして創作しているイメージの志人さんと比べて創れる世界の振り幅が広い。笑いもとれちゃうマルチな鬼。
この2人は他ジャンルとのセッションにも強かったり、活動も国内に留まらない。圧倒的な「個」で動いているからこそいろんな場所に自在に行ける身軽さがあるのだろう。そしてその「個」を支えているのは執着というか狂気というか、高い美意識だと思う。
〔 3 〕飯田華子(いいだはなこ)/ 東京ディスティニーランド(とうきょうでぃすてぃにーらんど)
最後の2人は割と親しみやすい独演家。これまで挙げた4人は説明不能な特殊能力があるように感じられ、だいぶ距離を感じる。一方、この2人はどういった人かある程度知っているのでどのような努力や下地があってここに至ったかが想像できる。スーパーマンではない。だから、独力で世界を創ることへのハードルを下げてくれた存在でもある。
飯田華子ちゃんは段ボールを使った紙芝居のアーティスト。イラストが描けて文章が書ける上に芝居もできるし演出もできる。華ちゃんとはソロで話芸を始めたばかりの時に出会い、彼女が主催をしていたYSWS(横浜スポークンワーズスラム)というバトルにも出させてもらった。以後、【猫道節】【猫道ガールズロックフェス】を始め何度もイベントに出てもらい、その度に独演の旨味を教わった。ちょっとしたアイディアと演出で退屈な日常に風穴を空けることができる。アクトからそんな希望をもらった気がする。また、彼女の素敵なところは紙芝居をベースにいろんなアウトプットに挑戦するところだ。以前は紙芝居の後ろで淡々と語る演芸だったが、衣装を着て芝居しながらの紙芝居もやるようになった。今ではがっつり脱ぐしラップもする。過去にバンドやダンサーとのコラボレーションもやっていて、猫道一家の演劇作品に紙芝居をつけてもらったこともある。今後どんな風にアートフォームを変化させていくかも含めてワクワクできる好きな独演家だ。
最後の一人、東京ディスティニーランドくんは女装して一人芝居をする俳優。自分がソロになる前に一足先にソロ活動を始めた友人で、俺は半年ほど彼の独演会で照明スタッフをやっていたこともあった。その前は一緒に4年ほど演劇作品を作っていた期間もあったが、自分もソロになってみて彼の独演を観ると新しい発見があった。
東京ディスティニーランドくんの一人芝居は形だけは演劇に見えるが、極めて私的な自問自答やアジテーション、ごっこ遊びが過激化したもので、その純度の高さから観る者を揺さぶる。あまり良くない意味でクセになっている信者みたいなファンもいると思う。自分が独演家として着目したポイントはその私小説家のようなところではなく、彼の即興性だ。彼のライブに引力がある理由の一つに「生々しい言葉が吐かれている感じ」と「事件性」がある。この先どう展開するか読めない雰囲気。全てを一人で演じているわけでいくらでもその場でプランを変更できる。だからこそ彼は現場でのフィーリングを大事にしていると思う。「即興の名手はノープランだから周到な用意をするアーティストと対極に位置する」という見方は間違いで、周到な用意をしている者も実は即興をやっているし、即興の名手も周到な用意をしている。ソロアクトにおいて、公演責任者は自分自身なので、その場で言いたいことだけ言えるし、そうすればいい。彼の独演を観ていて自然とそう考えるようになっていき、気がつくと即興ができるようになっていた。これは自分の中で大きい。
以上、猫道が敬愛する6名の独演家でした。長かったね…。
少し前にある優しい先輩からこう言われた。「安易に人を褒めすぎだ。信頼を失うぞ。」まさしくその通りだと思う。俺は自分の中で65点くらいの作品も80点に見えるように褒めてしまう。しかし、厳しい基準で見れば共演したことのある独演家で本当に手強いと感じたのはこの6人だけだ(イベント内のスラムで華ちゃんと対戦せねばならず辛うじて引き分けた時はもう対戦したくないと思った)。13年半ライブをやってきて6人。彼らとご一緒できたのは僥倖であり、今後この人数を増やしていけるかが舞台人生の充実を左右すると思う。
《猫道がやっていきたいソロパフォーマンス》
◉ 声にエモーションが乗っかる話芸
◉ 音としての気持ちよさとリリックを味わう要素が両立している
◉ 完成度を高めるべくイカレた美意識を持つ
◉ 世界は簡単に変えられるというアティテュードを持つ
(大掛かりな装置や超絶技巧よりももっとシンプルなやり方で)
◉ 自分のフィーリングに素直に言いたいことを言う
今後、ライブの前にはこの五箇条をチェックして臨む。次回ライブは10/24(日)です。国会を複数のステージで取り囲む野外イベント【イットクフェス】に出演。国会図書館前「怒涛ステージ」にて18:35-19:00。爆発します。
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