2024-10-26

僕、日記というものを書けなかったんですよね。
その理由はいまは書かないけど。
でも今なら書ける気がするから、今のうちに書いちゃおう。

ということで、多分5年ぶりくらいに。
自主的に。「日記」として書く日記です。


土曜日という名の監獄


一発目から病み~?
…すいません。日記なんです。
後で軽めのがあります。

華金という言葉がありますね。
平日の終わりだから、すごくわかる。

僕も大学院の平日5日間を生き延びるのは本当に大変。
最近やっと手の抜き方というものを覚えたゆゆは、
それでもやっとギリギリ。

そんな金曜を抜けて、土曜日。
なんの自由も感じない。

ゆゆの家族は毎週土曜日、記憶にないくらい前からずっと。
母方のの祖母宅に行く。

高校までは別に困っていなかったので、ついて行っていた。
連れて行かれているのだが、そうは思っていなかった。
思いたくなかったのかもしれない。

行ったら実家においてもらえなかったWiiがある。
前はそれをしている時もあったけど、
流石に大学生になったらやらない。
基本寝ている。やばいときは宿題。

今日もそんな感じ。
流石になにもないのはまずいと思って、
一年前にサイフォンを置いてもらったから、
それでコーヒーを全員に振る舞って、
子ども贔屓のコメントに耳をそむけ、
惰眠を貪り、課題をした。

うちのサイフォン君。
愛用カップ君。ごちうさ柄です。

こんなんだから、頑張って珈琲の味を言語化しようとしたり、
もっと美味しく淹れたりしたい、なんていう楽しみだけが頼り。
最近は祖母も僕を気遣ってくれてて、
行ったら嬉しい顔するくせに「来なくていいよ」、とか
コーヒー1回で1000円あげようね、とか言ってくれる。
収入ない僕には死ぬほどありがたい そうじゃないんだばあちゃん。
俺は俺が楽しいから淹れてるんだよ。ね。そうだよ。うん。

問題は土曜日の朝だ。
当然かのように父は祖母宅に向かうため車の準備をし、
母は「もうパパが準備しちゃってるから」「外に出たがりなんだから」
と父のせいにしつつ、
しかしそれ以外の選択肢などありえないかのような顔をする。

歪だ。

初めてそう思ったのは大学2年くらいかもしれない。
それまでもそう思ったことはあるが、
当の本人がその感覚に気づいていない。

自分一人ででも勝手に難波とかにふらついた方が余程自由だ。
しかしそれすらしない自分もいる。そこまで含めて歪なのだ。

今年の夏、かなりそういう家族の歪さに対して反発した。
それでもこの有り様です。
ままならないね。

今年中にはこれをちょっとでも変化できてたらな、なんて
緩やかに願った今日だった。


伊落マリー


上の項を一瞬でも見て、こっちに飛んできたあなたは
懸命かつ僕に興味を持ってくれている、あるいは
同じくブルアカプレイヤーなのだろう。
愛してるぜ。

知らない人向けに。
↑ この子です。
ゲーム内で言えば僕の推しです。
いつもは教会でシスターをやっている子です。

そんな子が、何やら物議を醸しているのを見たのです。

「イベントストーリー内でキャラが崩壊している」と。

ブルアカでは伊落みたいに可愛いキャラが、
物騒な銃を持って撃ち合うのが一般的な世界が描かれているけれども、
その中でも伊落はシスターとして、引き金を引くことすら稀である、
おしとやかな性格の女の子として描かれる子。
そんな子が、しかし最新のイベントストーリーでは
「人のため」でもないのに銃口を向け、発砲までしたそうです。

執筆時点で私は、イベントストーリーの最初、
伊落がモブからバイクを借りるために威嚇射撃を二発、
というシーンだけしか見ておりません。
どれくらい妥当で、どれくらいおかしいストーリーかは
まだ見ていないけれど…
少し、二次元キャラへの愛とか、二次創作について
考えさせられました。

先ほど、私は伊落が推しだと言いました。
どう好きかといえば、
ビジュアルが好きなんですよ。かわいい。
声もかわいい。
ストーリーで魅せる、
シスターとしての真面目さと、
胸に秘める「普通の女の子」としてプレイヤー=先生に甘える面。
ギャップ。そこが好き。
私としては、「その程度の」好きです。
なので、妄想とかTwitterの投稿の中で歪んだ伊落も、
コンテンツとしての伊落が描かれる限り好きなのです。

想像しやすいのは、例えば。
シスターである伊落が、タバコを吸ってヤンキー座りをしている。
そんなイラストが流れるのがTwitter。
二次創作という名のもとで、「好き」の形は色々認められていて、
これもその一つ。
僕もその趣向がわかってしまうタチで、
伊落が絶対しないことをしている伊落を見てみたいという思いがある。
タバコは流石にないけれど、
困惑しながらも誰かに言われてココアシガレットをくわえる伊落は見たい。
そんな妄想としてのイラストとして、見て笑っていた。

でも、それは伊落を「記号」として見ているにすぎないから
そう思えるのだ。
そう述べる人を見かけました。
イベストの伊落の「おかしさ」を指摘した人の言葉です。

ごもっともだ。
本当に好きなキャラに本当の愛があるからそう言えるのだと、
感銘を受けた。

2次元キャラというのは、人工の概念でありながらも生きている。
そう捉えることができる。
そう捉えること自体にも賛否あるだろうが、それでも
「捉えることができる」ことは揺るがない。

しかし、やはり踏みとどまった。
「好き」は自由でいいのだと。
マリーに銃口を向けられたいと思ってもいいし、
ココアシガレットをくわえてほしいと思ってもいいと。

何なら二次元キャラの生存というのは、
公式世界における生存と、オタク各々の妄想世界それぞれでの生存、
これに大きく分けていいとも思う。
先の主張はこの前者に基づく糾弾だったのだと思う。
「俺達の伊落はゲームの世界の中に生きていて、
ゲームはそれを正確に映す映写機だ。」
でも僕はどちらかといえば後者側だ。
「僕と伊落はなぜか特別な関係にいると思うし、いる。」

こう見ればどっちもまあかなり面倒くさいオタクじゃないか、と思う。

一瞬、「ああ、僕は伊落に顔向けできないことを考えていたのだ」と
深刻に考えそうになった。
しかし、もうこの時点で自分は自分の推しへのスタンスが変わらないことは
自明であることも今わかった。
だって伊落に顔向ける前提で考えているから。

つまり結局は、
オタクなんてみんなめんどいんだから、
好きに考えよう。そう改めて思った、深夜でした。


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