はじめに。

ドーモ。ゆゆといいます。はじめまして。

といっても、基本これを見てくださる人といえば
僕が「Note始めました」といってつぶやいたのを見た、
それもTwitter(現X)の知り合いさんがメインかな。

最初に言っておくね。
こっちではか~なりうるさいし、TLの僕とか対面の僕とテンション違うかもしれなくてびっくりするかもしれないけれど、
でも同一人物だから同じノリでコメントちょーだいね♡

…さて。
普段僕は本当にツイ廃で、
みんなのTLを汚染する存在であることを高らかに宣言しているわけですが
自己発信がかなり好きな自分が、こういうのを全くしないのはなにか損をしている。流石にそう思ってみたわけです。
ただし、勿論。
損をしているかもしれないのは私であって世界の他の誰かが損をしているかは全く考慮していません。
つまるところ、私にとってのカタルシス場面が不足している。
そういうことです。

ここは読み飛ばすように。

ものの試しに「カタルシス」に補足のため適当なリンクを付けてみたが、
さて。
語ることによる浄化、カタルシスは
果たして辛いことだけに適応されるものであるのか。
ポスト トゥウィートという崇高な行為も時々、カタルシス効果があると言われる。

やはりそうだろう。私は好きなものを好きと本気で語りたい。
根拠は自分自身である。

今後語ることがあると思うけれど、
私はかなり今まで自分を抑圧して生きてきた。
「根拠は僕以外のなにか」でしかなかったし、
しかしそれを自分の本意であると信じ込んできた。
つまるところ、思考停止。

だからこそツイートの手が止まらなかったのだろうけれど、
今度は自分のツイ廃度合いに気づくと冷静になって、
他人のTLに写っている自分を考えるようになった。
だから一応写真垢と騒ぎ垢を分けてみたりだとか、
結局こういう媒体に身を寄せてみたりだとかしている。

おかえりなさい。

この時点で750文字を超えている。なんと自由なことか。

大学の講義ではあんなにも文字数稼ぎに必死になのに。

まあ、そういうわけで、Noteをゆゆも始めてみました、という
お話でございました。

読ませるためには基本書きません。
しかしこの世にはこういう自分語りを好んで見るような、
物好きな変態さんもいることを知っているので、
一応の措置として公開する次第です。

今後にご期待ください。

ゆゆ、カメラ入手直後の写真。

反射体を撮るのが好きですね。
奇をてらう癖がある。

それでは。


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