EX3話:『アボーティブ・マイグレーション』11
水流に攫われた拍子に海水を吸い込み、むせることによって更に海水を飲む。肺に水が入ると、呼吸が乱れる。苦しみもがけば、さらに水が。悪循環に陥れば、溺れるまではあっというまだ。
ガラスの向こうは静かな世界
(……海は……。いつも美しいな……)
水流に流される。
アクリルの破片、水族館の設備。そういったものがたちまち遠ざかり……。
今、海の中にいる。
降り注ぐ、光の帯
(……爆弾も……解除……)
水族館の崩壊も、地上部の原子力発電所には影響はないはずだ。
星のような珊瑚
(……エコテロリストも、店じまいか……)
全身の皮膚から、水を飲んだ内側から、ひんやりとしたものが染み込んでゆく。
無音の世界。水圧できしんだ頭蓋が、しんしんと音を立てる。
虹色の熱帯魚
(……やっと、これで……)
疲労の極地のように眠い。
多幸感。
きっとこのまま意識を手放せば。
ゆらめくイソギンチャクの森
(………………はは、だめだ……)
だというのに。
どこまでも青い、水のとばり
(…………やっぱり……。死にたく、ない……)
水中にかすかに響く甲高い笛のような音。
助けなど来るわけがない
(……ああ……)
起きていなければと思うのに眠い。眠いと自覚できないほど眠い。
誰にも気づかれず、気づいたところでもう手は届かない
水中に響く、甲高い笛のような音。
(…………え…………?)
そこに助けがあると言うなら
(……かみ……さま?)
それは間違いなく奇跡だろう
水中に轟く、甲高い笛のような音。
(…………なにかが、下から…………!)
なにか巨大なものが下からせりあがり、彼女の体をとらえた。
そのまま上昇。上昇。
海面が明るさを増し、巨大な水柱を立てて、彼女ら――
水城祥子と。
巨大な、本物の白シャチが。
海面に姿を表した。
激しく何度も咳き込み、必死に水を吐き出す。
呼吸を整え、ようやく意識がはっきりしてくる。
「……わたし……いき……てる……?」
自分が、何か巨大な生き物の上に乗っていることに、ようやく気づいた。
甲高い笛のような音。
海中で、自分に向けられていた音。
それは。
「白いシャチ……私を助けてくれたのは、貴方?」
彼の。呼びかけだったのだ。
甲高い笛のような音。肯定するかのように。
それは海で起こった、小さな奇跡。
だけど、私の人生を変えた奇跡。
そう。
その奇跡が忘れられないから、私は――
彼に。また会いたいと思ったのだ。