立春

 1日早い節分が過ぎて、改めて新年である。
 梅が咲き初める日……と言うことで『立春』というのだそうだ。
 梅、と言えば何かと学問に縁の深い木。そして古えより春に魁て咲く……ということで、縁起の良いとされた木でもある。

 かの清少納言曰く…

ー木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたしー(枕草子 第三五段)

 と紅梅を一番に褒め称えている。 
 色の紅白はともかくとして……
 凛として蒼穹にまっすぐ枝を伸ばし、しらしらとした花を寒風の中に咲かせるさまは、いかにも凛々しく清々しい。
 なるほど別名を『好文』というだけあって、ひたむきに学問に勤しみ、高みへと手を伸べる姿こそがよく似合う。

 『好文』なるその名の由来は古代中国、「晉起居注」なる文書に、晉の武帝が学問に励んでいる時は梅の花が開き、学問を怠る時は散りしおれていたとに見えたといわれる故事から だそうだが、さしずめそうなると私の梅の木はさぞやしおれているだろうと苦笑せずにはおれない。
 
 同時に、学問をこよなく愛しながら、摂関政治の権力争いに呑まれていった菅原道真公の悲哀を留守宅に残された梅の木は如何に見ていたものだろうか………。

ー東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るなー

(拾遺和歌集 雑春 1006番)

 道真公のこの歌はただ故郷を懐かしむのみならず、今ひとたび学問への志を奮い立たせようとする道真公の自身への鼓舞にも見える。
 主(主君)に見留められずとも、学究の道を諦めてはならぬ……と。

 努力は必ずしも報われるわけではない。けれど努力し続けることでその人の内に咲いた花は何より気高い薫を放つ。

 ということで、受験シーズン、我が母校の乙女たちにも精一杯の紅梅を咲かせて欲しいと心から祈る。

ー人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の かににほひけるー
  紀貫之(古今和歌集42) 

#三日日記

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