人に好かれることに囚われるのをやめた
電車に乗るといつも思い出すことがある。
中高で大人数で活動する部活に所属していて、そのどちらでも人間関係のトラブルがあった。
人間関係のトラブルっていうと、よく聞くし、誰にでもあることだけど、私の場合というのは少しイレギュラーで、その度に自分を否定した。
高校一年生のある休日、電車に揺られていたら、部活の先輩の集団(全員女性)を見かけた。
なんとなく気付かれないように隅の席に座る。
そのうちのある一人は私をすごく可愛がっていてくれたし、いつも褒めてくれる先輩だった。
先輩はこう言っていた。
「○○?顔はめっちゃ好きやで、顔だけやけど」。
いつも「○○かわいいなぁ、すごいタイプやわ」と褒めてくれていた先輩だった。
しかし、この時の私はあまり驚かなかった。
日頃から少しの違和感を感じていたからだ。
昔から年上の女性と、深い仲にはならない。
懐にスッと入り込める子はたくさんいるのに、私はそうはなれない。
先輩という存在が、よくわからないのだ。
私はいつもそうなので、その先輩がどうだった、とかではなく、私がどこか、駄目だったのだと思う。
今になって思う。
私が人に好かれようとしてしまうこと、
それが裏目に出てしまうということ。
好かれようとするあまり、顔色を窺ってしまうし、気を遣ってばかりで、それが空回る。
誰とでも話せて人見知りしないと思われがちだが、話さなくてはならないという義務感が常にあるというだけ。
あた、思い出すと、しんどくなってくる。
私が日頃、普通でいられるのは、数ある嫌な記憶に蓋をしているから。
今は自分なりに上手に、生きている。と、思う。
それでも、年上の人に可愛がられる関わり方はやはりわからないし、分かろうとすることをやめた。
特別仲良くない友達と、無理に話すこともやめたくて、SNSのアカウントをかえて、繋がるのも、やめてみた。
すごく心が軽くなった。
人に好かれることへのこだわりも、自分を良く評価されたいという思いも、自分を縛り付けていたものだと気づく。
本当に自分にとって良い友達は、そのままの私は好きでいてくれて、無条件にそばにいてくれる。それが先輩でも、同級生でも、後輩でも、同じで、そういう人だけを愛せばいいと思った。
すごく心が軽い。
今そばにいる人を、本当に大切と思える、私は幸せだな、と思う。
.....
今は毎日が気楽で幸せです。
高校時代には想像もしなかったけど、誰よりも気楽に生きられていると思います。
人間関係のミニマリストであることはすごくいいのかも(笑)
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