ひとり取り残されていくような。

昔、ツイッターで私を見つけてくれた男の子が居た。
何かの検索でたまたま私を見つけたというその子は、私の文章を絶賛してくれた。
現代の無頼派だとか、エミリーディキンソンの詩みたいだとか、ハンナアレントのように世界を救う可能性があるだとか。…私はこんなに人に褒められたことはなかった。

興味深いので会ってみたいと言われ、こちらからしても面白そうな子だったので、会うことにした。一応、OG訪問ということらしかった。
その子は偶然にも私が卒業した大学の後輩で、大学のスロープで初めて待ち合わせした。
「はじめまして」
と声をかけてきたその子は、頭に矢が刺さっていた。

厳密にはそういうオモチャらしい。
私は怖かったので、矢については一切触れずに彼に接していた。
目がぱっちりしていて、女の子みたいにも見える。
その子はツイッターでは老成した哲学者みたいな文章を、強迫神経症的な勢いで綴っていたので、なんだか意外だった。

学校のこととか、どこに行こうかとか話し、ようやく尋ねてみる気が起こった。
「あの、なんで頭に矢が刺さってるんですか」
その子は言った。
「このくらいやっていかないと、ねこまぐれさんには相手にされないかなと思って」
混乱する私に、
「もっと早く突っ込んで下さいよー。ずっと付けてないといけないんじゃないかと不安になりました」
と言いながら、ようやく矢を外したので私はホッとした。そして、

「これ。味はまずいんですけど、香りが癒されるので、飲んでください」
と言って、彼がくれたカモミールティーは、たしかに癒される香りだったし、たしかにあまり美味しくはなかった。その後つらいことがあると、私はそれを飲むようにした。

その子は、切実で、不思議だった。一緒に喫茶店に行き席に座ると、
「すみません席変えませんか?この椅子はふかふかすぎて僕にはもったいないです」
と言うので席を変えてもらったことがある。自己肯定感がふかふかの椅子さえも受け取れないほど低くなることなんてあるのか…と、私は驚いた。多才で、社会的には凄いとされる立ち位置に居る子なのに。彼の複雑な家庭環境が、きっと彼をそのようにした。優しくて純粋で壊れている。
「個人の痛みが世界全体を良くすることに繋がる。世界がよくなるためには個人の痛みが必要というパラドックスがある」
とその子は言っていた。

私が頭蓋骨骨折して入院したときには、迎えに来てくれた。第一声は、
「大丈夫ですか?頭改造されましたか?」
だった。
その後ファミレスでご馳走してくれて、ジュースも買ってくれた。嬉しすぎたのでそのジュースのペットボトルを今でも保存している。
孤独で頼るあてもないなか、本当に救われたし、とても感謝している。
地獄を生きていた彼は、理想の母親になろうとしてると言っていた。

たまに一緒にねる仲だった。ただ添い寝する。
「愛しいな」「僕も」と話した。

エヴァの「Q」を一緒に観た。
私が黙り込むと、

「言語感覚が良いから話したほうがいいですよ」

と言ってくれた。

「あなたは、文章を書くか、哲学者になるか死ぬかしか道はないです」
と私に言った言葉が、本当にその通りすぎて、今でも笑ってしまう。

はちゃめちゃでどうしようもない私だけど、何げなく言ってくれた言葉に救われていて、そういう私になりたくて、何とか生きているとこもあった。

ずっと会えなかったけど、いつかまた会う様な気がしていた。救いたいような気がした。

ずっと会っていないけど、最近、その人はとても活躍している。テレビにも出演した。きっと地獄から脱したのだろうな。

その人はこんど結婚するみたい。

孤独でも私が私でいられる、心のよりどころだったけど、心から消さないといけないな。

なんだか、私だけがおいていかれている気がしてしまう。私がじたばたとしつつも動けていないだけで、周りはただ生きてるだけ。それがとてもつらかったりする。

#記憶のかけら #コラム

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