ラベルとレッテル

ラベルと言う言葉とレッテルと言う言葉の印象は、私の中でかなり異なる。

子供の頃から、不調を訴えても西洋医学的に「正常」の範囲内で親には嘘つき呼ばわりされるし、我慢してれば入院になるし(膝側面の骨の曲り成長による歩行困難)、抜歯になるし(親には虫歯が無く、歯磨き習慣がなかった)。

大人になって、股関節がグキッとなって歩行困難になり、やっとの思いで病院行ったら「どの病気にも当てはまらない」。

鎖骨が下がって、肩の痛みと肘の痺れで病院行った時は検査の為に造影剤を使うが親族にアレルギーは?と聞かれたので「祖母が血圧値異常になる」と申告するもテストを強行。失神する。

目覚める時、看護師さんの「血圧100戻りました!」の声を聞き、テストで注射された左腕は血塗れだった。「出血に驚いたんでしょう」と、失神前に出血は見てないし、私は女だからこの程度の出血では驚かないと言う言葉は信じてもらえず造影剤検査を強行された。

結果、インターンも喜ぶ「典型的な『胸郭出口症候群』」の診断は出た。

病名というラベルが付くと、人はある程度信頼してくれる。原因不明、不定愁訴ではただの嘘つきと言うレッテルが貼られる。

多分、私は小学校の頃から抑鬱症状があったのだろうけれど、病名が付いたのは40代になってからだった。「重度の抑圧症状と鬱症状」

それから数年、徐々に落ちた体重に、食後悪心、移動する腹痛に悩まされ、「上腸間膜動脈症候群」「消化器官通過障害」とラベルが付くまで3年かかった。

ラベルが付いた不調に関しては、家族や仕事場で理解を得やすいと言う利点がある。

ただし、病名と言うラベルの場合『治る』事が理解の前提になっている事が多い。これは、自分も含めて注意が必要な事だと思うが、闘病=治る、または亡くなると思っている人って多いのではないだろうか?

不定期に不調が繰り返されるのに、「治る」気配がないと、「治す気あるの?」と苛つかれる。そんな経験がある人は結構いるのでは? 私だけ?

そのうちに、「この人は弱いから」くらいのレッテルが貼られ、仕事の評価も落ちていく。いや、それ聞いてないんだけど!と言うことも、休んだ私が悪いらしい。

最近、顎に内出血が出来て、歯科に通っているが「免疫が低い」と言われた事だけが母の頭に残っているらしくせっせと栄養食品を渡してくる。しかし、私には母の言動自体がストレス(笑)の元なので、彼女と接触すると免疫力は落ちそうである。

下書きのまま、情報遮断期間が来たらしい。

今も、状況に変化はないけど(仕事は辞めた)、あ、父が死んだね。去年は愛猫も他界。それでも生きています。


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