私とシナモロール
シナモンとの再会
あるとき、職場のメンバーとピューロランドに行くことになった。
私は、サンリオにシナモンとは別に推しがおり、キャラクター総選挙の投票権を集める場所がピューロであり、その他のキャラクターに強い思い入れがあるわけではなかった。
そんな中、シナモンの20周年のイベントがあると知り、そのエリアに向かった。ピューロのショーやパレードはストーリーが良いとの評判を周りのオタクたちから聞いていたのもある。 「シナモンか、まあ、好きでも嫌いでもないけど周年イベってことは次来るときにはやってないだろうし見とくか」くらいの認識である。
実際、そのイベントはでかいスクリーンに男性アイドルのように歌って踊るシナモンが映しだされてその周囲に曲に合わせて会場内にシナモロールのキャラクターのレーザーが動き回るだけで、演出としては何か特別なものもなく、映し出される映像もストーリー性があるものではなかった。
シナモンのオリジナル曲を知っているわけでもない私は、1曲目が終わり、「ふーん、シナモンってピューロだとこんなに男性アイドルみたいなんだ」と思っていた。
シナモンによって1曲目の紹介が入り、自身がデビュー20周年なことの説明も入る中でシナモンは我々にこう問う「20年前みんなは何してたかな?」。
シナモンとの出会い
幼少期の私は、ガーリーなものが嫌いで嫌いで仕方なくて、大人たちに「それ男の子用だよ」とか「もっと女の子らしくしなさい」と言われる毎日だった。
かなり彩度が高いピンクのランドセルを買ってもらったが、なぜその色を選んだのか過去の自分に不満を覚えながら6年間ピンク色のランドセルを使った。なぜ、その色を選んだのか覚えていないということは、多分、自らの強い意思ではなく、親や店員やその他周りの同調圧力に流されてしまったということかも知れない。当然、ピンク色のランドセルには思い入れがなかったので、わざとピンクの塗装が剥げるように雨に濡らしたり、傷つけたりしていた。大きくなって、ランドセルの値段を知った。親、雑に扱ってごめん。でも、ピンク色は嫌だった。
私の周りはママ友間の交流が盛んで、友人の誕生日パーティーを頻繁に行なってはプレゼント交換をしあっていた。プレゼント交換といっても、自分のお小遣いすらももらえないくらい幼かった私たちは、親と一緒に文房具店や女子小中学生をターゲットにした雑貨店に行き、親に「〇〇ちゃんはこれ好きそうだからこれにする」などの会話を通してプレゼントを選ぶことしかできなかった。
その当時の私の友人たちが私のことをどう認識していたかは分からないし、その親たちが私をどう認識していたかも分からないが、少なくとも「〇〇は女の子だからこういうのが好きだろう」というバイアスがあったのは確かで、ピンク色とかの女の子向けの文房具や雑貨をもらっていた。最低限の社会性はあったので、それに対して不満を漏らした記憶はないが、喜んだ記憶もない。
そんな中で、私の誕生日だったのか、他の誰かの誕生日だったのかすら覚えていないが、水色のシナモロールの雑貨がプレゼントされた。当時の私には「サンリオ」なんて企業の概念もないし、アニメ放送などを見ていた訳でもなかったので、「なんか最近周りの女の子が持ってるものとかお店とかで見る気がするよく分からない可愛いキャラクター」くらいの認識だった。
そこであるママが「シナモンって男の子なんだって」と言い出した。すごく衝撃を受けた。「こんな可愛いやつが男の子なんだ!」と。
そこからは、なんとなくシナモンへの好感度が上がり、「たとえ周りがシナモンを女の子向けのものだと認識していたとしても、私だけでもシナモンが男の子であることを分かっていれば、私は私の意思でシナモンを選んだことに私の中ではできる」と思ってシナモンを選んでいた。
ピンクのランドセルも水色のシナモンのランドセルカバーで覆った。
学年が上がり、「女の子だから」を気にしないで物事を選択する勇気や知恵がつき、そもそもキャラクターものを私も周りも選ばないようになって、そんなシナモンとの思い出は忘れるようになった。
そして、冒頭に戻る。
「20年前みんなは何してたかな?」この一言で、そんなシナモンとの記憶がブワッと思い出された。この時点で感極まっていたのだが、シナモンは続ける「透き通った水色の空みたいに、広くてなーんにも邪魔されるものがなくて、みんなが自分らしく自由でいられる世界になったらいいな」「自分に正直になるってちょっぴり勇気がいるけど、とっても大切だよね」と。
自分らしくいられず、自分に正直になる勇気も持てなかったかつての私にとって、シナモンは逃げ道だった。シナモンを選ぶことは、女の子らしいものを選ぶ器用さもなく、自分の本当に好きなものを欲しいと突き通す勇気もない、中途半端な自分を無理やり誤魔化すための手段だった。シナモンのことが好きだったわけでもない、でも、そんなシナモンが20年越しにこの言葉をくれる。
完全に仲を許していたわけではない職場のメンバーの前にも関わらず、この時点で号泣してしまった。
シナモンは、僕の大切な宝物は「君と過ごしてきた今日までのかけがえのない思い出」と伝えてくれた。こんな私の思い出も……?
そして始まるバラード曲。これまでの私とシナモンの思い出を反芻させるのに充分な時間だった。
そして最後の曲は、応援ソングで、これからの生活の活力をもらった。
20年前、そしてこの20周年イベントを企画したサンリオ側が私のような客層を想定していたのかは分からないが、この一連の流れを通して、シナモンへの感謝の気持ちでいっぱいになりながらピューロランドを出た。
今は、『シナモンと安田顕のゆるドキ☆クッキング』に癒されて日々を過ごしている。20年前を救ってくれたシナモンとは別のシナモンだが、それでもシナモンは私を肯定してくれる。