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「創れる」という感覚

映像制作との出会いは中学の時に父に買ってもらった8ミリフィルムカメラだった。

「CANON 514 XL」
https://global.canon/ja/c-museum/product/cine292.html

たまたまコマ撮り機能(これ、どれくらい伝わるかな?)があったので、自宅を舞台に30本以上の短いストップモーション作品を撮影した。

作品と言っても、家にあった「モノ」をキャラに見立てて撮影したもので、最初の作品は「灰皿物語」と言って、文字通り父の灰皿を主人公にしたものだった。

8ミリフィルムの現像が上がってくるのを心待ちにし、初めて映写機にかけて、灰皿が動くさまを観た時は感動で震えたものだ。

「こんな面白いことがあるのか」と思った。

そんなこんなで、中学2年(たぶん)の時にアニメーション部に入部した。

当時普通の「アニメ部」というと人気のアニメのキャラをセル画で描く、といったものだった。

自分は前述の経緯で、一人で400枚のボールペン紙芝居を書いてアニメ短編を作っていたりしたので、「アニメ部でもオリジナル作品をやろう!」と言って、当初は皆に呆れられたのだが、作品は完成。

SF版「ウサギとカメ」のような短編は、中学校の体育館で全校生徒の前で上映され、アニメ部は喝采を浴びたのだった。

その後はプラモデルを使ってコマ撮りをやるようになり、高校時代にはやはりアニメーション部の後輩らと一緒に、スターウォーズやサンライズ作品のパロディみたいなのを一緒に撮影して面白がっていた。

また高校では、「アニメーション部・特撮班」という謎の部署に所属していて、宇宙刑事のパロディ作品を、3年かけて3部作で撮影したりしていた。

思えば、そうした「映像は創れる」という原体験が、今の酒場SF制作にもDNAとして繋がっていると思う。

その意味では今自分は、8ミリフィルムカメラを初めて手にした過去の自分と一緒に、映画を創っているのだ。

作品創りの原点は、なにがしかのイマジネーション、妄想だ。

捨てがたく魅惑的な妄想を、どうやってフィルムに焼き付けるのか。

何としても焼き付けたいという衝動が、作品創りの根底にあるのだと思う。


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