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津波にのまれるわたしの故郷

子どもの頃から知っていた。
ここは数百年の周期で津波が来る土地だと。

小学生のとき、地域のお年寄りから昔の話を聴こうというグループ課題があった。
近所のおばあちゃんは津波にまつわる伝説を話してくれた。
要約するとこんな話だ。

むかしここに津波が押し寄せてきたときに白い鳥が突然現れた。
鳥が波の先端を蹴ると津波の勢いが止まり、そこから陸地へ進まなかった。
鳥が津波から土地を救ってくれたのだ。



このnoteを書くにあたりざっと検索したが、そのような話はヒットしなかった。
白い鳥とはサギかカモメか、地元の野鳥だと思うがはっきりと思い出せない。
何十年も前の小学生の記憶だし、もうわたしは他県に住んでいるので同級生に尋ねることもできない。
しかし津波の話は地元の小学生たちみんな知っていたことは確かだ。


「もし津波が来たら死ぬと?津波が来ないところに引っ越そうよ!こわいよ~!」
母に何度も訴えたが、大丈夫よ、という返事しか返ってこなかった。

それから月日は流れ、おばさんになったわたしは、80代二人暮らしの両親に、いまだに同じことをLINE通話で懇願している。

「津波が来ないところに引っ越してよ」

しかし一度も首を縦に振ってくれたことはない。
「もう80だしいいっちゃが。ここで死ぬわ」


避難場所に指定されている学校まで、私の足でも15分かかる。

津波の高さは最大17メートル、到達時間は最短で14分と予想されている。

車なら5分だが父は最近ほとんど運転してないし、だいたい毎日夕方から芋焼酎を飲んでいる。
お酒が一滴でも入れば父はハンドルを握らないだろう。
震度6の揺れに耐えたあと、80のじいさんばあさんがそろそろと歩きはじめて間に合うとはとうてい思えない。


両親が津波に巻き込まれて死ぬ瞬間を想像し、不安にさいなまれる夜がある。
それでもどうすることもできない。
遠く離れた家族だが、彼らには彼らの人生がある。

大切にしてきた地域の人たちとのつながり。
若いころに働いて建てた思い出の詰まった家。
住みついた野良猫との穏やかな暮らし。

それらを奪うことはできない。


どうしようもないことを受け入れて生きる。
子どもの障害がわかったとき、わたしはそれを学んだはずだったけれど。
どうしようもないことが多すぎて泣きたくなる。


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津村ねここ
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