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20万円の自転車

十数年前、夫の体重が90キロもあることが悩みの種だった。
家で出す食事の量は普通なのに、隠れて買い食いするので私にはどうしようもなかった。
通勤途中にコンビニで買ってそのほとんどを車内で食べていたのだ。

ヤセロヤセロと文句を言い続けたある日、「15キロ痩せたらご褒美に自転車買っていい?」と夫が目を輝かせて聞いてきた。
自転車うちにあるやん、と言ったら、欲しいのは変わった形の自転車で20万円するという。
乗る人の手足の長さまで測って注文するらしい。

夫以外の誰も乗れない、妙な形の自転車に20万…

しばらく悩んだ末、了承した。

20万は自転車の代金じゃない。
我が家の大黒柱の健康をこの値段で買うんだ!

はりきった夫は買い食いを止め、毎晩ウォーキングに出かけるようになった。
常にベルトに高性能万歩計を装着するようになった。
朝晩パンツ一丁になって体重を量り、エクセルで折れ線グラフを作った。

そしてとうとう半年で15キロ痩せたのである。

私は心から驚いた。
こんなに根性がある人だとは知らなかったよ。
すごい!やるじゃん!
手放しで誉めた。
夫はとてもうれしそうだった。

新しい自転車は盗まれては大変というので、アパートの共用自転車置き場ではなく、カバーをかけて玄関の中に置いた。
掃除しにくいったらありゃしないが、まぁ、それもやむをえまい。
しかし悲しいことに話はそこで終わらなかった。

熱しやすく冷めやすい性格から予想できたが、自転車を手に入れて気が緩んだ夫は、その後あっという間に100キロ超までリバウンドしてしまった…

しかも太り過ぎた夫は、ふとももが擦れて痛くなるから痩せるまで乗らないと言うのである!


それから月日は流れ、現在も夫専用高級自転車は狭い玄関の段差の上に鎮座している。
不安定な片足スタンドでちょっと触れると必ず倒れるので、スーパーの買い物袋を両手に持っているときなどは細心の注意を払う必要がある。
そーっと横歩きしてそばを通り抜けねばならない。
さもなければ重い自転車が倒れてきて買い物袋の中の卵や果物は悲惨な目に合う。
何度もやったからよくわかってる。


先日久しぶりに玄関を雑巾がけしてたら、自転車が足に倒れてきた。
すごく痛かった。
うげぇぇぇぇぇと思わず声が出た。
涙をこらえてうずくまっていると自転車に対する憎しみが静かに沸きあがってきた。

健康はお金で買えなかった。
夫はダイエット前より太った。
20万円が消え、邪魔な荷物が増え、玄関のスペースが狭くなった。
玄関で横歩きする生活を甘んじて受け入れねばならなかった。


それでもまた夫が痩せる日を信じて捨てられない自転車。

安かったら捨てたのに、高すぎて無理だよーーーー!

思い返すと腹がたつのでエッセイにしてみた。
夫にバレたら消します。


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津村ねここ
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