日記 断ち
全部一度断ってみたらどうだろう。
物事がスッキリ見えてくるかもしれない。
コレは実はいらなくて、本当に必要なものがアレだった、と言うのが分かってくるかもしれない。
案外本気で考えていることだ。
まず、金欠の人間で酒とタバコを毎日摂取してる人がいるとしたら、どう考えてもそいつはお酒とたばこはやめた方がいい。辞めれるんだったら辞めたほうがいい。
少ない金を酒とタバコに費やしてしまっているとき、飲んでると全てどうでも良く思えるし、タバコは吸ってると気分がまぎれるとか、そんなとこだろう。一瞬の快楽に身を委ねるようなもので、長いこと我慢し続けることが出来ないから、そいつは結局のところ金欠なのだ。
夢は叶わなくていい。
人生は期待通りにならないことの連続だからだ。
思い通りになることなんて一つもないと思った方がいい。
私がこうなりたいと思ったものは大抵叶わない。叶ったと思えることは留学に行けたことだけだ。(なんて贅沢な...、お父さんお母さんありがとう)
最近読んだ本でちょっと忘れられない言葉がある。
「生きることとは、死ぬその瞬間まで諦めないことである。」
別に無理やり哲学的なことを言いたいわけではない。でもみんなちょっとは考えたことがあるだろう。生きると言うのは明確に何を指すのか。
別に、そもそも何一つ無くたっていいのだ。
何一つ。
でも、空間が存在し、宇宙があり、太陽系があり、住むのに適した惑星があり、世界と言われる地球の中で、私は何を約束されたわけでもなくここに産み落とされている。
何一つ無くてもいいこの空間で、必死に生きて社会人として模範を示せいうのは、なんと酷な話だろう。
ふわっと人生を辞められたらどんなに楽か。
生きているとなぜこんなに辛い思いをしなきゃならないのか。
なぜわけもわからず悲しいのか。
でも、これには答えが存在しないのだ。
なぜならこの問いそのものが、最初からあやふやなこの世界で作り出されているからだ。
「聞いてくれ、わけもわからず悲しいんだ。」
「そうかい。でもそもそも太陽系が何に必要とされて出来あがったのかもわからないし、全てのことに意味が有り得ないこの世界だよ。わけがなくて当たり前なのかもしれない。」
こんな具合である。
生きているこの長い時間、絶対的な裏付けなどない。
でも正解がないまま、わたしの命は浮遊している。
心臓が動いている限り、つぎの鼓動が鳴るその瞬間まで、私は呼吸をし、食って、寝て、1秒前を過去として認め、未来を生き抜かなければならないのだ。
人生に答えはない。そして生きてる意味も特にない。(ネガティブなニュアンスではないんだけど、伝わるかな、、)
意味なんて後から見出せばいいなんて言うのは、私に言わせてみれば綺麗事だ。
だから、夢は叶わなくていい。
しかし夢に向かって生きてゆくのは必要だ。
なぜなら希望には終わりがないからだ。
人間は、いつ終わりが来るかわからない状態で、何十年も生きなければならない。だから終わりのないものを常に自分の中に持っておいた方がいい。(これはなんとなくそう思う。)
あの本に書かれていたのはきっとそう言うことなんだろう。
死ぬ瞬間まで諦めないのだ。
何も約束されていないこの世界で、夢が破れることなんておそらく日常的なことだ。
願望は通らない。
でも希望は常に持ち続けておきたい。
この意味がわからない世界に対して、希望を持ち続けたいのである。
さぁこの日記、ひとつ困ったのは、「断つ」と「絶つ」の違いである。
恥ずかしながらあまり日本語が得意でない私はこの違いを知らなかった。
調べるとだいたいこんなふうだ。
「断つ」とは空間的につながっていたものを一時的に切り離すことで、「絶つ」とは時間的に続いているものを永続的に終わらせるということらしい。
一時的か永続的か。
そんなこたぁどうでもいいぜとカッコつけたいところだが、小心者ゆえの私のこのタイトルとなってしまった。
いつかまたしれっと夢に生きるときが来てもいいように、今は断っておこう。