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ほんのり怖い④:まるで逆再生
大学卒業したばかりの頃、バイク便をやっていました。主に輸出入に使う書類を企業や大使館に持っていく仕事でした。
私が好んで通るルートに、幾つかの国の大使館が入った古いビルがありました。大使館の小さな部屋に入るとあっという間に別の国。その、日本から急に異国になる不思議な感じが好きでした。でも、社内では「あそこはおばけが出る」なんていう噂がまことしやかに囁かれていました。
ビルは前にある並木のせいか、はたまた周りの大きなビルのせいかは解りませんが、確かに正面入り口が暗い感じがした事を覚えています。
中に入ると古いエレベーターが2基しかなくて、それも随分ゆっくり昇降するので、私はよく非常階段を使って目的の階を目指しました。走って上った方が何分も短縮できるからです。各階にある大きな鉄の非常扉には、「向こうに人がいるかもしれないから急に開けないように」と張り紙が貼ってありました。
晴れていても、ビルの位置が悪いのかロビーが本当に薄暗いのですから、非常階段ともなれば蛍光灯が点いているにも関わらず、更に暗さが増す感じでした。
その日、私はいつも通り書類を持って階段を駆け上がっていました。非常扉が開いたらぶつかってしまうので音には十分気を付けて。
いつも通りいつも通り。でも何かが違った。ぐるぐる登っていると、誰かの気配がすぐ上の方でした気がしました。スピードを緩め、ぶつからないようにと用心して顔を上げました。踊り場に人影が現れて……私は、端に避けようとしてぎょっとしました。
その男の人は、珈琲を片手に何故か後ろ向きでおりてきました。
顔の覚えは無いけれど、多分外国人だったと思います。それが手摺りも使わず逆再生みたいに、足音こそしなかったけれど、とんとん、と軽快に。
横をすり抜けて走り去りつつ、ふと、非常扉が開く音がしなかった事を思い出しました。珈琲の残り香だけが空間に残っていました。
おばけ? いやいや新手の筋トレかもしれない……と、踊り場で一度止まって考えました。そうして次の非常扉が開く音がしないか、暫くじっと耳を澄ませて聞いていたのです。
でも扉の音も足音もしなかった。
私は再び階段を駆け上がって目的の階をすっとばして屋上まであがりました。非常階段の蛍光灯とは違う、太陽のひかりに心底ほっとしました。
帰りはエレベーターを使いました。
音もなく逆再生っぽく降りてくる男の人。
オバケでなかったとしても、
オバケだったとしても、
びっくりするから、あんまり会いたくないものです。