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極東から極西へ4:カミーノ編・DAY1(SJPP〜Burguete)
前回の粗筋
SJPPで巡礼の手続きをした。
宿のオスピタレロに話を聴いた。
前の話
・サンドイッチ
6時少し過ぎに宿を出る。
ドアを開けるとまだ星が輝いていた。日本と同じようにオリオン座が見える。
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SJPPの駅を見て、シタデル通りまで上り、巡礼事務所に背を向ける形で坂を下る。途中、サンドイッチ屋さんが開いていたので、寄ってサンドイッチを購入した。
「何にしますか? ハムとチーズ? それともハモン(生ハム)とチーズ? チーズとマーマレードもありますよ」
店員のお兄さんはゆっくりと英語で話してくれる。言葉を訳してSさんに伝える。
「マーマレードとチーズって珍しいですよね。それにしようかな」
「じゃ、私は生ハムとチーズにしよ」
サンドイッチを注文した。
お兄さんは、パンを切り、チーズと生ハムを沢山切って挟んでくれた。次にマーマレードのサンドイッチだが……。
あれ? なんだか色が。
ブルーベリージャムのようなものをパンにたっぷり塗って、チーズを乗せていた。ちらりとSさんを見ると気づいていない。
食べる時のドッキリにしようと伝えないでおいた。
フランスパンを入れるような袋に入れてくれたので暫く持って歩いていたのだが、結局Sさんがサブバッグ代わりにしていた風呂敷に入れさせてもらった。
・SJPP〜Orisson
門を潜り、いよいよ巡礼路へ。
オスピタレロが教えてくれた通りに、ホタテ貝の印を追いかけて進んだ。
沢山の巡礼者が歩いている。
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黄色の矢印とモホンと呼ばれる道標を見つけながら進む。
「最初は、レフト」
巡礼路の分岐点、ナポレオンルートに入る。牧場の、なだらかな登りを歩き始める。牛や馬が普通にいる。
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一見長閑な風景なのだけれど、平らな場所がない。それに、夕飯と朝ごはんを食べていないので、すぐに疲れてしまう。
「シャリバテかな」
「食べてないですもんね」
「Yさんからもらったグミ持ってきたんだ。食べる?」
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職場の同僚から餞別に頂いたグミをザックのポケットに入れておいたのだ。少しずつ食べながらゆっくり登る。相変わらず沢山の人に抜かされていく。道を譲ったら、話しかけてくれた。
「君達、どこから?」
「日本です。おじさんは?」
「フィリピンだよ。君達のご近所だ。ブエンカミーノ」
「ご近所さん! ブエンカミーノ!」
国を超えてのご近所さんだった。
途中、ストックをSさんに渡した。私はあまり登りでストックを使わない。
「いいんですか?」
「体重分散されるから楽になるよ。下りになったら一つちょうだい。階段から落ちてから坂が苦手なんだ」
下りは左膝が不安なのもあるけれど。大分前に、体重80kgくらいの人を一人でベッド上のポジショニングをした時に、やってしまったのだ。だから、あまり踏ん張りが効かない。
何人も抜かされて、それでも一歩ずつ。フントを過ぎて、SJPPから8km先にあるオリソンを目指す。イタリア人の女性と、アメリカ人らしい女性が出会って話していた。
「泊まれたの?」
「ええ、泊まれたわ。どうなることかと思った」
「良かったわねー」
ああ、昨日巡礼事務所にいた人だと合点がいった。こんな風に、この時はまだ立ち止まりはするものの、暫くは人の出会いと話を聞く余裕があったのだ。
ところが。
「ごめん、ダメだ。サンドイッチ食べていい?」
「いいですよ。常さんほとんど食べてないですもんね。ちょっと休みましょう。私も食べるー」
多分後もう少しでオリソンという所で動けなくなった。Yさんのグミが無ければもう少し手前で動けなかったかもしれない。二食抜いた分がかなり効いていた。汗が異様に出ていた。
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丁度良い石に腰掛けて、サンドイッチを食べる。チーズと生ハムの塩気が染みる。食べたそばから消化されていく。そして、余裕が出てきたのか、所謂日本のマーマレードではない色に驚くSさんを見てにやり。
「なんだろこれ。ブルーベリー……? とは違う気がする。マーマレードじゃない。あ、美味しい」
「うん。紫色してるなあと思ってたんだよね。こっちのハムとチーズも、すごい美味しいよ〜」
顎が疲れるくらいの硬いパン。シンプルで美味しい。ハマりそうだ。
「あらー! いいわねー、楽しんで!」
「サンドイッチ! 美味しそうねー!」
「おはよう。ブエンカミーノ!」
道行く人が声をかけてくれる。
挨拶に応えながらあっという間に完食した。
サンドイッチを食べた場所からすぐ先にオリソンがあった。バー兼アルベルゲで、カウンターのお姉さん達がちゃきちゃき動いて、訪れる沢山の巡礼者達をさばいていた。活気があって大変賑々しい。
「オレンジジュースと、バスクチーズケーキ下さい」
「チーズケーキは無いのよ。これはバスクケーキ」
Sさんが注文している。
心意気でなんとかなるもんだなあと感心しながら、チーズケーキではない旨を伝えた。
「私も彼女と同じものを」
「5€と4€、合わせて9€よ」
お金を払ってテラスへ。
サンドイッチのおかげで身体が大分楽になった。オレンジジュースとバスクケーキを更にお腹に投下して、完全に元気になった。
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「何かに味が似てる……記憶にある。なんだっけなこれ」
ケーキを一口食べたSさんが真剣に考えている。私も口に運ぶと花のような香り。それに確かに覚えのある味がする。
「分かった、杏仁だ!」
「本当だ、杏仁豆腐」
杏の粉でも使っていたのかもしれない。
・Orisson〜Roncevaux
サンドイッチが無かったらオリソン手前で殉教していたかもしれないと話しながら進む。
「きっとみんなこんなところで? って驚くよね」
「嫌だー、日本人2名遭難とか。私はキリスト教じゃないし」
「私もカトリックじゃないよ。文化と歴史に興味があるだけ」
羊の群れや、至近距離にいるクリーム色の牛の写真を撮っておく。動物好きの甥っ子に見せるためだ。esimのおかげでネット環境は良いのだが、SさんはWi-Fi頼りなので実家と連絡が取れない。
昨日TGVのWi-Fiでesimインストールを試みたのだが不安定で出来なかった。
延々と続く登り坂。似たような緑の丘が越えても越えてもずっと目の前にある。
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山を駆けるせいか、心なしか皆マッチョ。
延々と続くハイキング。オリソンを越えたあたりで、大分人の群れがばらけていた。抜きつ抜かれつしながら似たようなメンバーで歩く。
マリア様の像がある辺りで風が強くなってきた。
気を抜くと飛ばされてしまいそうな強風だ。
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何人の巡礼者を見てきたのだろう。
「大丈夫、空っ風よりはましです」
「そうだ、空っ風の方が強い」
そんな風に虚勢を張りながら1km1km、休み休み登り続けた。兎に角平らなところがない。平らかな? と思っても緩やかに登り坂。
殉教者の碑や十字架が、ぽつんぽつんと靡く牧草の中に見られる。
風を避けられる山のかげで販売車を見つけた。
何か温かいものを飲みたかったのだが、もう売り切れだったので、オレンジジュースを買って飲んだ。
店員さんが店仕舞いしている様子を何気なく眺めていたら、キッチンカーに何か書いてあるのが見えた。
「えーと? 後1km登りで、5km平坦。5km下り坂、だって」
「1km? 本当かなあ」
Sさんは訝しげだ。
アプリ、ブエンカミーノの距離がいまいち合っていない気がするのだ。出発しようと用意をしていたら、女の人が近づいてきた。
「コロンビアのコーヒー飴よ! どうぞ」
「わあ、コーヒー、大好きです。ありがとう!」
にこにこしながら飴をくれた。日本のお菓子、持ってくれば良かったな。
1kmの登りは中々ハードだった。羊の群れを掻き分けて、やっとこ登頂する。5kmの平坦な道の途中で給水所があったので水を補給。補給ついでに冷たいそれを喉に流し込む。風は止むことがなく、気温も下がっていたけれど、この時は寒くはなかった。
人はかなり少なくなった。
時差ボケが少し残っているのか、ゆっくりしか歩けない。
ほぼ一緒のペースで歩く人の中に、白いパーカーの女性がいた。大きなザックの、大きな白髭の男性と話しながら歩いている。
「ーーロンセスバージェスの宿がいっぱいだったからブルゲーテまで行かなきゃいけないの」
「そうなんですか、それは大変だ」
そんな話をしていた。
実は私達も、ロンセスバージェス を予約しようとして出来なかったクチだ。だから余計に女の人の言葉が聞こえたのかもしれない。
風はどんどん強くなる。
正直空っ風以上で、山の上で逃げ場はないし、風向きもどんどん変わるから体力が持っていかれる。
平坦な道を終えると、森に囲まれた5kmの下り坂が現れた。かなり急だ。遠くにはブルゲーテの街並みが見える。
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山登りの経験から、下りの為にスピードが落ちたとして、1時間半くらいの距離に見えた。見晴らしで休んで下り開始。
Sさんからストックを一本借りた。
「きっつ」
「辛いですねこれ。どれくらいで着けるかな」
「通常なら1時間くらいでロンセスバージェス だけど、厳しそうだね」
浮石が多い。
20km登った後の急な下り坂はかなり堪える。他の巡礼者も慎重に降りている。左右に、スキーの要領で小刻みに降りたら楽なのだけれど、挫いたら終わりなので、ゆっくり目に。
「わあ!」
背後で声がして振り返ると、ブルゲーテまで行くと言っていた女性がバランスを崩していた。脚をかばいながら降りていたので気になっていたのだけれど、ひょっとして、怪我した!?
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、膝がちょっと悪くて。怪我はしてないから、大丈夫よ!」
「良かった、気をつけて」
「ありがとう」
気になったけれど、ゆっくり先に進んだ。
途中で雨が降ってきて、慌ててレインウェアを着る。激しい風雨にどんどん体力が削られていく。まずいかもしれない。低体温症が頭をよぎる。
道を流れる水の量が多くなる。
強風も止まない。
ロンセスバージェスの大きな建物が見えたけれど、ここには泊まれないのだ。事務所でスタンプを貰いたかったけれど、止まない雨と風に、事務所までの坂を上る元気がもうない。「バッテリーはあるかしら。携帯が死んじゃった」と言いながら、脚をかばっていた女性が現れた。良かった、降りられたんだ。
ふと見ると、Sさんは普段から色白なのだけれど、雨に濡れて顔色は蒼白に近かった。まずいな、自分も似たような顔色だろう。
「事務所行く?」
「止めよう。残念だけど、一刻も早くブルゲーテに行った方がいい。シャワー浴びないと」
「ドライヤー、借りられるといいな。風邪ひきそう……」
宿に既に到着した人達が、ビールやワインを飲んで陽気に歌っている中を先を急いだ。後ろ髪を引かれたけれど、いたしかたない。
・Roncevaux 〜Burguete
ストックをSさんに返し、魔女のブナの森を行く。
雨は止まないけれど、風は幾らかマシになっていた。山下りの緊張が解けた分、寒いという感覚が嫌でも意識され始める。
「あと、2.8km」
「30分と少しですね」
ふらふらになりながら柔らかな土を踏んだ。たっぷりと水を含み足を取られる。雨と土と、葉の匂いが濃くなる。
漸く街が見えた時、心底ほっとした。写真を撮る余裕もない。
因みに、ブルゲーテはヘミングウェイ「日はまた昇る」で主人公達がマス釣りをしに滞在した街だ。
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パンプローナまでに読んでしまいたかったが難しいかも。
ふらふらになりながらアルベルゲの門を叩き到着した。簡単な説明を受け、レインウェアとザックカバーを干し、靴からサンダルに履き替えて2階にある部屋に入る。すぐにシャワーブースに飛び込んだ。
シャワーを浴びているのに震えが止まらない。熱い湯をガンガンかけて漸く寒さが引いた。
Sさんがシャワーを終えた後、ランドリーに向かう。洗濯機と、乾燥機があったので両方使った。
夕飯は、自動販売機の食べ物で済ませることにした。雨が降り続き、外に出るのが大変そうだったのだ。
部屋から廊下に出ると見覚えのある人が荷物を整理している。
「ああ!」
「あなたもこのアルベルゲだったのね!」
膝を庇いながら降りていた女性が同じ宿に到着していた。再会を喜びあう。
「膝は、大丈夫ですか? 悪くしてない?」
「大丈夫、悪くしてないわよ」
本当に良かった。
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夕飯は女性と一緒に食べた。彼女はエミリーと言ってアメリカから来た人だった。私の拙い英語に付き合ってくれたり、良い人だ。コインケースが無くなったと言っていたので、代わりの日本の巾着をあげた。
メールと名前を教えて、と言われたのでメモに書いて渡した。
夜、寝袋に入り込み、今度は二人とも死んだように寝た。
パリから三夜連続で爆睡だ。
それでもこの日は特別きつかった。
流石難所と呼ばれるピレネー越えだ。
次の話