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全ての温泉むすめを訪ねる旅 その5
2022年5月13日。天気がぐずつく中、私は浜松駅を目指していた。
今回の旅は後述するが大阪で用事があった為、ついでに浜名湖のほとりにある舘山寺温泉と三重の榊原温泉を経由していく行程を組んだ。
浜名湖はこれまで、もっぱら電車の中から眺めるのが殆どで湖畔に温泉があるなど全く知らなかったし、榊原温泉にしても三重県に温泉なんかあるのかという状態で、ここもまた温泉むすめを知らなければまず訪れない場所だった。
この旅を始めて、私は自分が住んでいる国のことを知っているようで全然知らないのだな、と本当に思い知らされているし、今後も幾度となくそう思うのだろう。
この日、天気が大幅に崩れ荒天となる予報を受け、本来は東海道本線を乗り継いでいくところいきなり新幹線で浜松まで来てしまうことにした。
JRの在来線で長距離移動する場合、その路線以外の選択肢が無い場所で運転見合わせになってしまえば旅行自体を中止せざるを得なくなることもあり、そのリスク回避のために東海道新幹線の特急料金は全く惜しくなかった。
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ちょうど昼前に着いたので、浜松といえばうなぎ……というのも面白くないので、静岡県民にとってのソウルフードである「さわやか」のハンバーグを食べてみようと思い、駅前の遠鉄百貨店へ入っていった。
しかしこの「さわやか」。チェーン店なのにその人気は凄まじく、多くの店でめちゃくちゃに待たされることでも有名であり、主要駅の駅前にある、しかもデパートの中にある店は開店前だというのに既に30分待ちを宣告され、あえなくうなぎ屋へ転がり込むこととなった。
ただ、転がり込んだ先のうなぎ屋「八百徳本店」は明治創業の有名な店で、味は文句の付けようがないものだった。ただ、食べている最中もさわやかのハンバーグが頭の中をぐるぐると回っていたのは言うまでもない。
この日泊まる舘山寺温泉までは浜松駅より路線バス一本で行くことができるのだが、遠鉄と天浜線、更にタクシーを乗り継いでも行けるのを知ったので時刻表を調べてみたところ、浜松で2時間くらいの時間を確保できた為タクシーで浜松市美術館へ行くことにした。
特に下調べもせず浜松出身の画家の作品を見られればいいかな、というくらいの気分だったが偶然、遠藤美香という木版画家の作品展をやっていて、それが大当たりだった。一見して版画なのか、とにわかに信じがたいような作品が多く、背丈程ある作品などは最早超絶技巧と言っても良いだろうと思えた。
旅程に響かない時間一杯まで美術館に入り浸った後、バスで浜松駅へ戻り遠州鉄道へ。この路線もかなり昔から存在を認識していながら一度も乗ったことがなかった路線であった。
ちょうど「シン・エヴァンゲリオン」とコラボレーション企画を行なっている時期で、新浜松駅はそのまま「シン・ハママツ駅」として駅構内全体がエヴァンゲリオン一色となっていた。
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アスカのパネルと一緒に写真を撮っている大学生位の子たちを横目に見ながらホームへ上がっていくと、反対側のホームに特徴的な赤色の電車が留置してあった。
初めて乗る区間はついつい鉄オタ根性が丸出しになってしまうのだが、最近は先頭かぶりつきをするよりもロングシートに座るかドアの所に立って外の風景を眺めるのが好きになったので、この日も雨模様の車窓を楽しみながら終点の西鹿島駅まで乗り通す。
天浜線の汽車までは接続が悪かったので30分ほど駅構内で過ごすことになったが、乗り換え階段や車体などもかなりデコレーションされていて目を楽しませてくれた。
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雨の中やってきた天浜線の単行汽車(一両編成)に乗って気賀駅を目指す道すがら、いくつかの駅で面白そうなカフェがあったり雑貨屋があったりして、途中下車の時間を設けておけばよかったとやや後悔。天竜浜名湖鉄道・天浜線は沿線観光に力を入れているので丸一日時間を取っても結構楽しめる路線なのだが、一泊ずつ場所を変えていく旅ではそうもいかず内観を車内から眺めるしかなかった。
気賀駅に着いても相変わらずの雨模様で、遠鉄タクシーを呼んでいる間は駅構内のゆるキャン巨大ポスターをずっと眺めていた。
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浜松から遠鉄、天浜線、そしてタクシーを乗り継いで舘山寺温泉に到着する頃には雨は止み、浜名湖も曇りながらよく見渡せるようになっていた。
早速この日お世話になる宿へチェックインすると、部屋からは浜名湖を一望できるなかなかの景色。しばし湖を眺めた後、早速温泉へ入りに行くこととしたのだが。
この舘山寺温泉で私は「源泉かけ流し」というものがいかに困難で難しいのか、また源泉枯渇という大問題についてまざまざと知らされることとなったのである。
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風呂場へ行くと湯船にはやや薄めの茶色いお湯が湛えられていたが、塩化物強塩泉という割には塩辛さもなかったので拍子抜けしてしまった。
チェックアウトの時女将さんにそれとなく聞いてみたところ、正直に色々と教えて頂いた。源泉はこれまで幾度となく枯渇を経験し、現在使われているのは湧出温度33度の泉源であること。塩分濃度がかなり高いので水で薄めないと加温の際に風呂釜が壊れてしまうということ。
事実、その後も旅を続ける中で完全なる源泉掛け流し(溢れたお湯がそのまま排水されていく)が出来ている温泉場というのはむしろ少数派で、源泉が少ないor温度が高すぎて加水しているならまだしも、多くが源泉を入れてはいるが浴槽内の湯は循環(濾過+消毒)させていたり、そもそも完全に循環の温泉場の方がはるかに多いことを理解した。
いつ何時源泉が枯れて無くなってしまいかねない……そうした問題に揺れる温泉場もあるのだ、ということを考えながら、それでもせっかく来たのだからと入浴を楽しむことにした。
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翌日の旅程を色々と調べる中で、偶然豊橋にある“萌寺”とあだ名されている浄泉寺というお寺が、偶然ウォーキングイベントに合わせて御朱印を受け付けているという情報を掴んだため、まずは豊橋へ向かうこととした。
このお寺では馬頭観音と聖観音を萌え擬人化してイラスト化したキャラクターになっており、イラストが入った御朱印を目当てに足繁く通う人までおり多くの信仰を集めている。2020年頃ポリコレ・キャンセルカルチャーに晒されかけたこともあったが、住職がクレーマーを相手にしなかったこともあり早々にキャンセルの試みは打ち砕かれたのだった(なお、このキャンセルを主導していたXユーザーアカウントは2023年現在、既に削除済みであり実在しない。キャンセルを意図したクレームなどは単なる感情論かつノイジーマイノリティでしかなく、首肯・肯定する必要が無いことを如実に物語っていると思う)。
出発前に舘山寺へ参って旅の無事を祈ったあと、再び遠鉄タクシーを呼んで雄大な浜名湖を眺めながら弁天島駅へ向かい、そこから普通列車で豊橋を目指した。
しかし、浄泉寺の最寄駅である西小坂井駅は普通列車しか停まらない駅で、運悪く次の列車まで接続が悪かった為やむなく飯田線の普通列車に乗って小坂井駅を目指すことにした。乗車した列車は2両編成で行き先は「岡谷」。
はて、岡谷といえば中央本線の駅だが?
そう思って時刻表を調べてみて思わずひっくり返った。豊橋から片道7時間程の時間をかけて岡谷まで向かう日本有数の長距離列車であったのだ。
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正面奥に広がる山を越え、遠く長野県まで向かう普通列車を見送った後、田舎道を歩いてお寺へと向かう。境内に入ると既に熱心な参詣者が列を作っていたのでそこへ並ぼうとしたが、どうもその列は当日限定の御朱印をもらうためのものだそうだったので、時間が惜しかった私はまるで同人誌のような御朱印帳と共に御朱印をちょうだいしたのだった。
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本殿の中で歴代の御朱印をじっくり眺めた後、本来降りる予定でいた西小坂井駅まで30分くらい歩いて普通列車に乗ることとしたが、快速の止まらない駅は貨物列車も含め本当に通過列車が多く特急街道とも言われる中央東線(中央本線のうち東京〜塩尻間)もかくや、と思った。
途中駅で快速に乗り換えるとあとはもうあっという間に名古屋駅に着いてしまう。ここから大阪の方に向かう場合は新幹線か、東海道本線をそのまま乗っていくか、亀山経由で関西本線に乗るか、あるいは近鉄を使うかと色々方法があるのだが、この日は近鉄の久居までなので快速「みえ」を使うことにしていた。
近鉄特急に乗っても良かったのだがやはりここはキハ75形に乗らねばならない。
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三重県の鉄道は長年近鉄が大きなシェアを維持しており、JRが私鉄の後塵を拝している。ただJRも手をこまねいている訳ではなくこの快速列車を近鉄特急にぶつけており、津駅に行くとデカデカとみえ号の広告が貼られていてライバル感を剥き出しにしている。
車内もかなりふかふかなシートが設置されていて、一部は指定席になっており沿線観光にも念頭を置いているが、所要時間的な面では津までならいい勝負だが終点の鳥羽までだと近鉄の方が早い。ただ費用面では回数券を買えばかなり安くなるので何を優先するかで変わってくる区間と言えるだろう。
この列車は先頭車両から見える景色もまた魅力の一つなので、津までの間はあえて座らずに運転士の後ろに陣取って“かぶりつき”をした。
途中でJRから第三セクターの伊勢鉄道に入るのだが、この路線は汽車しか走らないのに複線区間があるため、あたかもJR北海道の路線に乗っているような不思議な感覚を覚えるのだった。
津駅からは近鉄に乗り換えたのだが、電車を待っていると赤色の綺麗な列車がホームに入ってきた。近鉄の看板列車の一つであるひのとりだった。
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特急しまかぜと並ぶ近鉄の看板列車。見ること自体が初めてだったのでかなりテンションが上がったが、人気列車ゆえに明日乗れるかどうかは怪しかった為眼福と思い、行ってしまうまでずっと釘付けになっていた。
そのあとやってきた各停はいつもの近鉄電車だったので、ああ関西圏に来たんだなと思いつつ久居駅まで乗り、そこからは路線バスで榊原温泉へと向かった。
水田が広がる中を進むバスがやがて山……というか丘のような低山の麓にわけいった頃目的地に到着し、バスを降りると榊原温泉はかなり鄙びた温泉場であった。
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宿泊する「味楽」に到着すると宿から今日は満員御礼なんです、と言われたが聞くと近くでやっている工事の作業員さんが泊まるということだった。風呂場が一杯になるのは困るので早々に浴衣に着替えて浴室へ向かい湯をかぶると、猛烈な強アルカリ性なトロトロのお湯だった。
シャワーから出てくるお湯も温泉だったのだが、それは泡を落としても肌触りがトロトロしていて本当に泡が落ちているのかわからない程の良泉質。これ程の強アルカリ性な泉質といえば神奈川県の七沢温泉が思い出されるが、負けず劣らずの肌触りでたっぷり長湯をしてしまった。
翌朝になると作業員さんのご一行は居なくなっていて、早朝に現場へと向かったらしかったので朝食の時間までのんびりと長湯を楽しむと同時に、温泉むすめの中で“推しの子”がようやく出来たな、とも思った。
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バスの発車時間までは間があったので、前日は時間の関係で訪ねる事が出来なかった「榊原温泉郷おもてなし館」へ行った。地区の名産品の土産物店とご隠居さんの集会場を兼ねており、入ってすぐのところに榊原伊都ちゃんのパネルが置いてある。
まるで伊都ちゃんと共に朝の茶話会を一緒に囲んでいるかのような、和やかな雰囲気の中でバスが来るまで世間話に興じる。いい田舎の温泉場であった。
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再びバスに乗って久居駅に着くまでの間に名阪特急の時間を調べていると、ちょうど良い時間に特急ひのとりが津を通ることを知った。すぐに近鉄のオンライン座席指定サイトへアクセスして更に調べると、偶然、津から先頭車両の景色がよく見える座席が空いているのを見つけてしまった。
アーバンライナーに比べればかなり高くつくのだが、先頭からの風景を大阪の京橋まで見られるなら全く惜しくもなくすぐに予約し、津から昨日見たばかりの豪華列車に乗車する機会を得たのだった。
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先頭車両の車内にはまるで飛行機のビジネスクラスのような座席が鎮座しており、あたかも高級サロンのような雰囲気が漂っていた。リクライニングを完全に倒せば寝てしまうような程の快適さだったが、そこは鉄道教徒としてしっかりと先頭からの風景を堪能せねばと思い、寝たくなるのを我慢して京橋までの楽しい時間を過ごした。
京橋駅で大阪環状線に乗り換えると真っ先に立ち食いうどん屋が目に入る。うどん屋を見ると大阪に来たな、と思うのは私だけだろうか。
大阪に来た、と印象付けられるのは粉物の店か新世界の通天閣、あるいはハルカスというところかも知れないが、私の場合は大抵うどん専門店に尽きる。ちょうどお昼時になっていたので天王寺駅まで行ってから駅前のうどん屋で天ぷらうどんを食べることにした。
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基本的にはミナミの下町なので割と浮いている。
うどんを食べた後、本来のチェックイン時間から大幅に早く到着してしまったことを宿へ伝えたところ、すぐに入って良い、との返事をいただいたのでそのまま直行することにした。
宿は駅前から環状線内に入った商店街のすぐ裏通りにある「葆光荘」で、その入り口はすでにそこだけ時間が止まっているような純和風の趣。以前から存在を知っていたが割と人気宿で泊まることが叶わず、この時が初の宿泊だった。
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一息ついた後、荷物を置いて宿を出た。
大阪での用事というのは、西成区の飛田新地にある旧遊廓で現在は大衆料亭として営業している「鯛よし百番」の内部見学。
実は以前、建物の修繕クラファンに応募してそれなりの金額を寄付した為、特典として内部の見学をできることになったのだが、この日は偶然私だけで、係の人に直接説明を頂きながら営業開始前の店内を余すところなく見学できるという、類を見ない経験をすることができるようになった。
15時に新今宮駅近くで係の方と合流し、西成のあいりん地区を抜けて鯛よし百番へ。内部は最早料亭というか宮殿そのものであり、よくぞこの建物が現在まで残るに至ったと感慨深かった。
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現在は予約しさえすれば中で誰でも食事できる(2名から)。
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夢のような時間はあっという間に過ぎてしまい、いつかここで食事をする機会に恵まれればな、と思いながら天王寺の宿へ引っ込んだ。
翌朝は新幹線の時間まで市内観光としたものの、もう元気もそんなに残っていなかった為中之島のバラを愛でてから帰宅することにした。犬鳴山温泉に行く計画も考えてはいたが時間不足で、機会を改めなければならなかった。
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