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荻窪随想録5・杉並図書館(と、『りんご一つ』)

近所の図書館の敷地の一角に、ばらが咲いている。
ピンクというのか黄色というのか、花びらの内側はクリ―ム色なのに縁にいくに従ってピンク色になったり、外側の花びらだけが濃いピンク色だったりして、黄味が強いかと思えば、逆さまにピンク色のほうが強かったりする、なに色と形容したらいいのかよくわからないような色合いのばら。
同じように図書館の敷地とあまり境目のはっきりしない――公園内を歩いていたつもりが、気がつくと図書館の敷地に入っているといった――隣接した公園にも、ばらの咲いている花壇がある。
ここでこのようにばらを愛でられるようになるとは、子どもの頃には思ってもいなかった。

この図書館は一度建て替えられた。
さらに何度も内部のレイアウトの変更や、改装や、模様替えを重ねて、今のような姿に落ち着いている。
近年では館内にこぎれいなカフェもできたし、公園といっしょになった部分はウッドデッキのオープンテラスになっていて、快適ではあるもののずいぶんとぜいたくな造りになった。自分が小学生の頃の、砂色だった建物の片鱗もない。あの頃、館内にあったのはせいぜいでアイスボックス。夏にはその中で、アイスクリームを売っていたことがある。ある時、いっしょに行った小学校の友だちが30円のアイスクリームを買おうとするのを見て、(20円ではなくて)30円もアイスクリームに使えるお小遣いがあるのか、うらやましい、と思った。

そう、手持ちの古い地図で確かめてみると、図書館は現在の体育館のあるところに、公民館といっしょに立っていたのだった。
ならば、公民館の記念碑として今立っているオーロラの碑は、旧図書館の記念碑としても立っていてくれてもよさそうなものだ。
しかし、図書館は形を変えて今でも存在しているが、公民館はもうない。だから、記念碑は公民館のためだけに建てられたのだろうか。
それとも、公民館の果たした役割は、碑に書いてあるとおりに図書館とは比較にならないほど大きかったからなのだろうか。

私がそのようなことを考えるのは、幼少の頃に、この荻窪の地で自分が最大の恩恵を受けたと思えるのは、公民館よりも図書館のほうだったからだ。

ここには幼稚園生の時からよく通った。最初は親に連れられて行ったのだろうと思うが、自分一人で行ったことも、友だちと誘い合って行ったこともあった。
C・S・ルイスの『ナルニア国物語』は、ここで見つけて読んだものだ。
『魔術師のおい』という背表紙のタイトルを見て、なんとなく手に取り、読んでみたのが始まりだった。
おもしろさに引き込まれてシリーズを読み進めていったら、クラスメートたちの中にもそう思いながら読んでいた人が何人もいた。
後に青い鳥文庫に収められることになった『クレヨン王国の十二か月』や、悲しい物語の『チョウのいる丘』もここで借りて読んだ。
それよりも遡れば、『白いりす』や『ささぶね船長』。『チョコレート戦争』などといういかにも子どもが好きそうなタイトルの本もあった。
荻窪に住んでいた幼少期に、いったいここでどれだけの本を借りて読んだかわからない。ここの児童室は私の宝庫だった。それはずっとそうなのだと思っていた。

しかし、大人になってこの地に戻ってきて、ある時、子どもの頃に読んだそれらの本をまた読んでみようと図書館を訪ねたところ、児童室がなくなっていた。そのうえ、児童向けの本のコーナーにある本はすっかり入れ替わっていて、かつて児童室の書棚に並んでいた私の見知っていた本はまったくと言っていいほどなくなっていた。

すごく驚いた。いつでもここに来れば、昔読んで気に入った本が読めると思い込んでいた。

確かに時代が変われば言葉も変わり、物語はそこに描かれた状況からして古くさいものとなり、その時代の子どもたちの心には響かなくなるのかもしれない。それでもここまで一掃するとは。

しかも、私には長いこと、もう一度読んでみたかった本があったのだった。図書館が本を捨てることがあるとは思わなかったというのが、正直なその時の私の感想だ。

じゃあ、私がまた読みたいと思っていたあの本はもう二度と読めないのか、と思った。ネットのない時代、そんなに簡単になんでもかんでもすぐに調べのつくものではなかった。しかも覚えていたのはタイトルに、確か「りんご」がつくということぐらい。作者の名前も、出版社も、まったく覚えていなかった。

だが、それから少し経った頃だったろうか、今も児童文学評論家として活動している赤木かん子さんという人が、「本の探偵」として、子どもの頃に読んでタイトルを忘れてしまったような本を、粗筋を書いて送ってくれたら、書名や、現在どこの図書館にあるかを教えてくれる、ということを無料でやっているのを知って――確か、母が新聞記事で読んで、この人に聞いてみたらどうかと言ってくれたのだったと思う――私もハガキを書いて送ってみた。だいぶ待ったと思うが、返信ハガキが来た。作品のタイトルは『りんご一つ』、作者は北畠八穂で、日比谷図書館(当時)にあるはずだ、と書いてあった。

さっそく私は、日比谷図書館までその本を読みに出かけた。
貸し出しはしてもらえなかったので、閲覧室の机で、最初から終わりまで一気に読みとおした。

そうして久しぶりに子どもの時に大好きだった童話に触れてみて感じたことは、その物語のおもしろさを改めて知るというよりも、小学生の時の自分がいかに想像力が豊かだったか、ということだった。

物語は、いつも一人で留守番をする女の子のために、
お母さんが毎日一つ、おやつにりんごを置いていくというもので、
その女の子はそのりんごを友だちにして、さまざまな空想をして楽しむのだった。
そのエピソードの一つ一つが、子どもの頃にはしゃぼん玉のように虹色の、夢いっぱいなものに感じられたのに、
大人になってから読んでみると、意外とそんなに書き込まれた文章ではなかった。
子どもにわかる言葉で書いているからだが、この素朴な言葉でつづられた文章から、自分はあれだけイメージをふくらまして、まるで目の前でほんとうに起こっていることかのように感じながら読むことができたのか、というのが驚きだった。
特に友だちのりんごが、雨の日に雨粒たちにさらわれていきそうになったところなど自分にも大事件のように感じられていっしょに悲しくもなったものなのに、改めて読んでみるとそれほど大したことではなかった。
しかしこれは想像力というよりも、むしろ感受性のほうの問題かもしれない。そして、子どもというのはたいてい、誰でもそういうものなのかもしれない。

『りんご一つ』は、私が小学校1年生の時に病気になって、ほぼ一学期分丸々家で療養していた時に、母が図書館で見立てて借りてきてくれた本だった。それがそれだけ気に入ったということは、母の鑑識眼はなかなか鋭かったのだろう。

でも、誰にでも子どもの時に読んで、もう一度読んでみたいと思っている本はある。
そういった本は忘れがたく、しかし、子どもの頃のことなので、タイトルをはっきり覚えていなかったり、物語の内容があいまいになってしまったりしているということがざらだ。
そのような昔読んだ本が、もし今も図書館の書棚に並んだままだったら、背表紙を見ただけでよみがえってくる記憶がもっとあるだろうと思うのに、そんなことは当然かなわない夢なのらしい。世代によっても、なつかしい本は違うし、置いておく場所も余裕も図書館にはないのだろう。

昔の童話の本をばっさり処分してしまった杉並図書館(現在の呼称は杉並区立中央図書館)を恨まないこともなかったけれど、それからまた長い月日が経ち、今は昔ほどではないけれど、やはり時折足を運ぶことがある。

もし新しく建て替えられなかったら、このように美しいばらが植えられることもなかっただろうし、
オープンテラスで今のように、花や緑に囲まれながら本を読むこともできなかっただろう。
仮になんらかの理由で、この図書館がこの先縮小することなどになったら、私はきっと、かつての図書館の姿よりも、今の図書館の姿をあるべき姿として惜しむに違いない。

この図書館についてだけは、たとえ失われるものがありながらでも、変わってゆくことでさらによくなっていくのだろうと信じながら、今後もつき合っていきたいと思う。

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