![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160723035/rectangle_large_type_2_557ecae9b893508f68fd5033377d579b.jpeg?width=1200)
荻窪随想録番外――西田小6年4組のクラス会(第29期生)
先月の最終土曜日に、久々に小学校のクラス会が行われた。
卒業時で37名いたところ、在籍歴のある人(途中で転校しちゃった人)を含めて計15名の出席。
今回は不参加となった人も数えれば、連絡先を新たに把握できたのは20人を超えていたから、60歳を超えてまたやろうとしたにはよく連絡がついたほうだろうか。
その前にクラス会をやったのがちょうど20年前の2004年で、
私にはお知らせが届くのが遅過ぎて参加できず
(私の当時の連絡先を突き止めるのに時間がかかったのらしい)、
さらにその前にやったのが、その時の案内文によるとやはりそれからほぼ20年前のみんながまだ20代だった頃で、
それにも私はなぜだか参加した覚えがなく
(そもそも、お知らせをもらった気がしないんだが)、
さらにその前にやったのは、卒業後1年以内に荻窪駅に集まって、みんなで遠足のように新宿御苑に行ったもの。
このクラス会のお知らせが届いた時には、
”え、まだ卒業して1年経ってないんだけど”と思ったのが正直なところだけど、
さすが我がクラス、と思ったのもほんとうだった。
というのも、2年生の時からクラス替えが一度もなく、
転校していく人・してくる人、でクラスの半分ぐらいは長い間に入れ替わったものの、
担任も、3年以後はずっと同じの、教師になり立ての若くてきれいな女の先生で、
卒業式には一人を除いて男の子も女の子もみんなが別れがたくて泣いたというクラスだったから。
でも、そんな気持ちを覚えているのは、今では私ぐらいかもしれない。
泣かなかったのは、4年生の時にお母さんを亡くした子だけだった。
幼くして大きな悲しみを味わったので、卒業による離別ごときでは涙が出なかったんだろう。
今回、残念ながら、私たちを長いこと見てくれた、担任だったその秋月先生は、高齢過ぎて招くことができなかったけれど
(幹事の片われを務めた私一人だけがクラス会をする前に挨拶に行って、会うことができた。ずるいね)、
ほかにも、ゆくえを探しようがなくなってしまった人がいっぱいいるので、
当然ながら、当時の学級をそのまま復元ってわけにはいかなかったものの(まあ、あたりまえか)、
それでも私には久しぶりにみんなで集まれるのならやりたいと思っていたことがあって、
それは名づけて「タイム・カプセル」。
なにかと言うと、ガチャガチャのようなカプセルに、
それぞれが出てくる、私が小学校時代に書いた日記の1ページを詰め、
その人に向かって、名前を呼びながらほうるというもの。
50数年前の自分に会えますよー、という趣向なのだった。
しかし、なにぶん小学生どうしがわいわいやいやいやっているのがありのままに書かれているので、
(中には、「今日は〇〇君といっしょに日直をやった」というだけの、当人にとってはおもしろみもなんにもないものもあったけれど)、
読んでも、当時の自分と今の自分とがにわかに結びつくはずもなく、
もしかすると、
「こんなのはうそだ!」と言われて紙をくしゃくしゃにされたり、
「あなたはどうしてこんなものを書いて残しておくの!」
と言われたりするかもしれない、と内心では覚悟していたのだけれど、
意外や、そんなことを言う人は一人もなく(みんな、大人になったんだね)、
自分の行状を読んで笑い出す男子もいれば
(そうなんだ、男子3人で廊下を走ってきたかと思ったら、わざと転んでスカートの中をのぞいた、という話なのに)、
「この日のことはよく覚えている!」と、凧揚げで誰よりも高く凧を揚げた男子に言われたりもした
(そうなんだね、私はその日のことは全然覚えていないのに)。
反応がよくわからない人もいたけれど……おおむね、おもしろがってもらえたような(と、思っていたい)。
どうしても、登場するページが見つからなかった人のカプセルには、
昔、もらった年賀状をカラーコピーして入れた(探したら、残っていたので)。
それもまた、自分はこんなものを送ったのか、と思いそうな内容だったから。
小学生の頃には、今でいうガチャガチャ――あの頃はペニイと言った――がはやって、
よく、お菓子屋さんの前に置いてあるマシンに10円玉を入れてはハンドルを回していたけれど、
万博が開かれた年には、カプセルの中に、万博の呼び物の一つであった銀色のタイム・カプセルのミニチュアが入っているものが出回って、
私はそれがほしくて何度もやって、ついに手に入れたということがあった。
でもまさか、自分が自分の過去の日記を使って、みんなのタイム・カプセルを作ることになるとは思ってもいなかった。
本物のタイム・カプセルは100年後に開くんだけどね。
でも、私たち、100年も経ったら残っている人がいるかどうかもわからないしね。
そのように、次もまたこれまでと同じペースで20年後にクラス会をやろう、などとなったら、
もう何人生き残っているかわからないので
(すでに、わかっているだけで、残念ながら4名が他界)、
これからはもう少し頻繁にしよう、という話にはしておいた。
でも、どうしたら、今回見つからなかった、
リコや、ミッコや、キョーコや、アッコや、吉田さんや都筑さんが見つかるのだろうか。
そして、どうしたのかもわからない、
小俣君や、岡君や、江尻君、金子君や、沢辺君、古川君などにふたたび会えるのだろうか。
ほかにもけっこう長いことクラスにいたのに、途中で転校していって、今はどこでどうしているのか、というような人たちもいる。
クラス会を続けているうちに、人づてでだんだんと発見されて参加者が増える、という話も聞いたけれど、
私たちはどうだろうか。今回、すでに相当探したし
(家があったところを訪ねてみたり、Facebookで検索したり、と)。
だいたい私は、この春に西田小学校の同窓会総会に参加するまでは、
お互いに連絡がつくクラスメートはたった一人しかいなかったのだった。
この個人情報保護法でがんじがらめになった世の中で、
いったいどうすれば、もう一度みんなに会えるのかと思っていた。
たいていの人はそのまま、道路をはさんでほぼ向かいの松渓中学校に進むので、
中学校のクラス会をすれば十分で、
小学生時代にまで遡ろうとする人たちはもういないだろうとも思っていたし。
でも、もう一人の幹事を務めてくれた男子が、
その中学校に進学していながら、小学校のクラス会も久々にやりたい、と思っていてくれたことが幸いした。
その彼とも、新宿御苑でクラス会をやった時以来
(ちなみに、このクラス会をしたことはたいていの人が忘れている)、
50年あまり連絡を取り合ったことがなかったはずなんだけど。
次のクラス会が、ほんとうにまた開けるかどうかはわからないにしても、
今回やっと、長いこと会いたいと思っていたみんなにまた会えて
――まだ再会できていない人もいるけれど――私は満足かな。