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荻窪随想録25・荻窪団地の花たち

あれは、昭和50年代の半ば頃だったか。
まだ、今のところに居を構える前、子どもの時に住んでいた荻窪団地をふらりと訪れてみて、
木々の豊かなことに目を奪われた。そして、ここはずい分緑にあふれた団地だったんだな、と改めて思った。
子どもの頃には、自分の住んでいるところが世界のすべてで、それが標準だと思っているから、取り立ててそのような感慨を抱いたことはなかった。
ただ、私が訪れた午後には確か子どもの姿は見かけられず、年輩の人が一人、外に出てきたのを目にしたぐらいだった。
かつてに比べるとかなり静かなところに感じられた。でも、緑がふんだんにあるようすは好ましかった。

小学校の低学年だった頃、私は朝起きると、団地内のいろいろな花壇を回っては、
"今日はアイリスに会った"などと、花と話したことにして、
自分で画用紙を折って作った手帳型のノートに、花の絵と花が語ってくれた言葉を書きつづっていた。
花の姿は、絵として描くよりも、色のついた折り紙を貼って立体的な形にして表わすことが多かった。

ずい分団地内のいろんな花と話したつもりだけれど、この手帳は引っ越しの際に親に捨てられてしまったのか、もはや手元には残っていない。

幼い自分にとっては力作の部類だったので、もう目にすることができないのは少し残念な気がする。

さて、そのように団地には各棟のベランダ側に花壇がしつらえてあって、そこは誰でも自由に花を植えていいようになっていた。
それで、どの棟の前も、さまざまな低木や花が植えてあったし、誰でも近寄って愛でられるようになっていた。
垣根のようなものを作って、隣との間に境目をつけるようなうちもあったけれど、ここからここまではこのうちのもの、とはっきり決まっていたわけではなかったので、空いていさえすれば誰でも好きなものを植えられた。

ちなみに、小学5年生の時の私の夏の日記には、今、自分の家の花壇にあるものとして、

ひまわり、カンナ、菊、アサガオ、小豆、サボテン、コスモス、百日草、マツバボタン、サルビア、グラジオラス、葉げいとう、ダリア

と書き連ねてあって、これだけでもかなりの種類があると思うのに、さらに、

レンギョウ、アジサイ、ナナカマド、黄梅、はくちょうげ、ウツギ

を挿し木にしているところだ、と書いてある。

ある頃からサラリーマンだった父が園芸に興味を持つようになって、「サカタのタネ」であれこれ取り寄せるようになったので、がぜん家の前の花壇が色取り取りの草花で埋まるようになったのだった。

うちは1階だったので、ベランダのないほうの四畳半の部屋の窓から、その家の前の花壇がよく見えた。隣の家がなにを植えていたかは忘れたけれど、隣は池も造ってあって、そこでオタマジャクシがたくさん孵ったこともあった。

園芸を始めるまでは、父はばらだかチューリップだか、たった一つの花の名前しか知らなかったという。
ばらを知らなければ、小説を読んでも――ばらの花はきわめてひんぱんに出てくるモチーフだろうから――ぴんと来なかったと思うので、まさかばらという花の名を知らなかったとは思えないが、かといって、チューリップという花の名を聞いたことがないというのも、私からすると想像がつかない。

5年生の時の夏休みには、母や姉が台所の蛇口に長いホースをつないで、ベランダを通して下にいる私のバケツに注ぎ、私がそれをじょうろに汲み直して草花に水をやるというのが夕刻の日課だった。

そこに11号館の友だちがやってくると、そのまま水かけっこになってお互いびしょぬれになるまではしゃいだりもした。

またある時、その11号館の友だちと団地内の草むらで遊んでいたら、サボテンが1株、落ちているのを見つけたので、別の11号館の友だちの家のベランダの下から――そこにたくさん置いてあるのを知っていたから――植木鉢を持ってきて、それにあたりの土を掘って入れ、植え直してやったこともあった。

団地には、そのような、住民たちが育てている草花以外にも、植栽としてあらかじめ植えられた樹木があって、ベランダとは反対の、玄関方向に当たる北側には、レンギョウや、白い小さな毬のような花をつける小手毬や――これは今も、シャレールにいくらかあるようだ――雪柳、それからこれは最近名前を知ったのだけれど、釣鐘形の薄ピンク色の小さな花をつけるアベリアなどといった低木も植わっていた。
アベリアの植え込みには、よく茶色い蛾のような小さな蝶――イチモンジセセリというのだそうだ――が飛び交っていて、これはちょっと気味が悪かったけれど、よく見ると目が黒くて大きくて、かわいらしくもあった。ただし、女の子によっては、それが飛んでくると悲鳴を上げて逃げ回った。

桜の木があるのはあたりまえとして、初夏の頃には、濃いピンク色の大きなオオムラサキツツジがあちこちで咲いて、その花の蜜は甘くておいしく、子どもたちは蝶と同じように、花を摘んではチューチューと吸った。だからといって、ツツジの木が丸裸になった、というところは見たことはないが。ただ、次々と摘み取られたツツジの花が、無残にも地面に散らばった。

それから、夏になっていくにつれ、通路沿いに植えられた、深緑色の葉をした夾竹桃の木には、濃いピンク色や白色の花が咲いた。夏の宵に漂うその強い甘い匂いは、私には母がケーキを焼く時に使うバニラエッセンスと同じ匂いに感じられた。

今のシャレール荻窪にも、西側に住民のための花壇があって、「クラインガルテン」と名づけられて貸し出し制になっているようだけれど、フェンスで囲われているうえ門扉がついているので、よそ者には近づきがたい。花壇というよりも、どちらかと言えば菜園として使われているようだ。時代が変わり、人々の求めるものも変わったということだろうか。

何号館の前だったかは正確には思い出せないけれど――21号館か、22号館だったろうか――ばらを丹念に育てているうちもあった。毎年いろんな種類の美しいばらを咲かせてくれていたので、ここに戻ってきてからは、時々ばらの季節に見に訪れていた。建て替えとともになくなるしかないのだろうと思っていたら、そのとおりきれいさっぱりなくなってしまった。今、シャレールでそれだけ見事なばらを咲かせているうちはない。

そして、東側にいつ頃からかあった――私が子どもの頃にはまだなかった――巨大なおばけアロエもなくなってしまった。「なくなるのなら食ってしまえ」と言っていた、団地にはいなかったけれど、団地の風情を好んでいたらしい、その近くに住んでいた知り合いもいたが、もちろんほんとうに食べたりはしなかった。

後年には、団地内にはアジサイも増えて、かなり大きくなったものもあったようで、さまざまな色合いの大輪の花が梅雨時には美しかったらしいが、それもやはりなくなったようだ。今は、東側の一角や、大谷戸さくら緑地の一部に、額アジサイの一種が並べて植えてあるばかりのようだ。

ああ、そうだ、大谷戸かえで緑地にも、いくらかアジサイの木が植えてある。そこにあるリュウゼツランのような南国風の植物だけが――小手毬のほかには――昔、団地の藤棚のあった公園に生えていた、似たようなものをそのまま移植したものではないかとひそかに思っている。

※タイトル画像:荻窪団地にあったばら 撮影年月――平成19(2007)年5月。筆者所蔵写真。


おまけ
おばけアロエ
撮影年月:平成22(2010)年1月。


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