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荻窪随想録36・「邪宗門」という名の喫茶店
荻窪駅の北口には、時代に取り残されたような一画がある。
アーケードになったそのあたりは、もちろん時を経るにつれて少しずつ、お店が入れ変わっていっているが、中にはいまだに50年も60年も営業し続けているようなところもある。
その一つに「邪宗門」という老舗喫茶があって、私のお気に入りでありながらもしばらくごぶさたしていたので、師走のせわしない時期ではあったが、この間、久しぶりに足を向けてみた。
ごぶさたしてしまったのは、最近は昭和テイストの雰囲気を楽しむ若い人たちが増え、
以前は見なかったようなお客で狭い店内があふれ返って、満席で入れないことがしょっちゅうになったからだ。
常にガラスにカーテンがかかって、中が見えないようになっている古びた白い木枠の小さな扉を開け、
「こんばんは」と言いながらおそるおそる中に入っていったら、
「今、満席なんで!」
と、いつものごとくの返事が、カウンターの中にいたお兄さんから返ってきた。
奥の椅子にこちらを向いて座っていた、お店といっしょに年を取っていったようなママにも――和枝さんという――「ごめんなさいねえ」と謝られてしまい、
やっぱりか……と思いつつ立ち去り、果たして私がこのお店にふたたび入れる日は来るのか、とその時は半ば本気で思ったけれど、
それからほどなくして、よし、もう一度行ってみよう、と、
仕事の入らなかった平日の夕方に、ふたたび向かってみたところ、
扉を開けても「満席です!」のにべもない言葉はなく、階下で注文をすませるように言われてルシアン珈琲を頼み、喫茶室のある2階に上がっていったら、
若い女性の3人連れがボックス席にいてしゃべっていただけだったので、拍子抜けした。
むろん、平日であったことが幸いしたのだろうけれど、どうも、平日・休日にかかわらずタイミングしだいなのらしい。
しかし、それだけがらがらの「邪宗門」に入ったのも、自分としてはいったいもう何年ぶりかわからなかったので、奇異に感じたほどだった。
今では、「レトロ」と言われて、やたら昔風の喫茶店がもてはやされるけれど、
私が「邪宗門」に行くようになった昭和50年代(1980年代)には、
そんな言葉はまだ一般的ではなく、
自分の記憶では、マガジンハウス――と言っても、平凡出版がそう社名を変更するよりも前――に、
<POPEYE>かなにかでレトロという切り口で雑貨を紹介していたことがあったのが目立ったところだったような。
そして、昔のままの喫茶店は、時代遅れと言われて見向きもされない頃だった。
私自身は80年代の、軽薄な風潮にはなじめず、
当時、つき合っていた男性にも「古いタイプの人だから」と言われていたぐらいの人間だったから、
自分で自分のことを“アナクロ(時代錯誤の)文学少女”と称していて、喫茶店で朗読会をやってみたり、銀座の老舗喫茶の「ウエスト」に行ってみたりしていた。
「邪宗門」に最初に足を踏み入れたのは、その頃、尊敬に近い気持ちを抱いていた二つ年上の女友だちに教わってからだったような気がするが、
入ってみて、すてきなところだなあ、と思い、
たばこをすぱすぱ吸うサラリーマンのお客に紛れて何度か通っているうちに、自分もこの空間の一部になりたいと思ったのだったか、
ある時、バイト募集の貼り紙も出ていなかったのに、
ここでバイトができないか、といつも珈琲を運んできてくれるママの和枝さんに思い切って聞いてみて、
ちょっとの間じっと見返された後で、家族でやっているようなところですから、とあっさり断られてしまったことがあった。
がっかりして、そのことを後でその女友だちに話したところ、
「私も聞いてみたけれど、少し考えていたようだった」
と言われて、ママの対応の差にまたいささか落ち込んだのだった。
和枝さんがまだきりっとした和装のマダムで、
私もまだ二十代初めの、暗い想念を抱きながらも落ち着きのない女の子だった頃のことだ。
その後もずっと通い続けていたわけではなくて、
この地を離れていたことも手伝ってか、その存在が心の中で消えかけていたような時もあったけれど、
近年は、自分としては割としげしげと通っていたほうだったと思う。
一時は壁際に並べられている、伊藤潤二傑作集を読むのがやめられなかったし、
ここに来るとなぜだか落ち着く、というような気持ちも抱いていた。
でもともかく、入れないことが増えてしまって、ふと立ち寄ることのできるお店ではなくなってしまったのは確かだった。
しばらくぶりに訪れた「邪宗門」は、いろいろと方式が変わっていた。
まず入り口でメニューを見て注文するようになったことがその最たるものだけれど、
水もセルフサービスになったらしく、階段を上がったあたりの小さなテーブルに、水の入ったポットと伏せたコップがいくつか置いてあった。
以前は和枝さんが水の入ったコップとメニューを載せたお盆を持って、この狭くて急な階段をぎしぎし踏み鳴らしながら上ってきて、
注文を取るといったん下りていって、飲み物ができるとまたお盆に載せて上がってくる、ということをくり返していて――見ていて、いささかはらはらしたが――さすがに90代も半ばに差しかかろうとするはずのママにそんなことをさせるわけにもいかなくなったのだろう。
と言うよりも、そうすることが実際にむずかしくなったのだと思われる。
去年、和枝さんがかなり目を悪くした時には、お兄さんが自分で注文を取りに階上にやってきて、珈琲を淹れるとまた自ら持ってくる、というてんてこまいの様相だったことがあったから。
そして、この日の和枝さんは、私がお店に入った時には、椅子の上でちょっとうつらうつらしていたようだった。
でき上がった飲み物を運んでくるのも、どうやらママからお兄さんに完全にバトンタッチしたらしい。
空いていたボックス席の一つに腰を落ち着けてだいぶ経った頃、お兄さんがお盆に飲み物を載せて上がってきた。
差し出されたルシアン珈琲も、以前とはずいぶん変わっていた。
かつては、クリームの上に、カラフルなチョコスプレーがかかっていたのだけれど、
チョコスプレーが載っていなくて、
ある頃から飲み物につけていっしょに出すようになっていたカラメルビスケットもなくなっていた。
あのビスケットのついてくるところは、ベルギーのカフェみたいで私は気に入っていたのだけれど。
ある時、飲み物を運んできた和枝さんがふいに、私の手にそのビスケットを2枚握らせてくれたことがある。
私が40年以上も前にバイトを断った子と同じだとはわかるはずもないのだが、
よく通ってきていることぐらいは、その頃は見分けがついていたのかも知れない。
なにかしら店内に常にかかっている音楽――シャンソンが多いような――も、以前はもっと大きな音でかけていたと思うけれど、つつましげな音量に変わっていた。
そして、壁際に並んだ伊藤潤二の傑作集は、
1巻の『富江』の上巻のカバーが――やはり、みんな一番それを手に取ろうとするのか――すっかり傷んでぶかぶかになってしまい、本体からはずれかかっていた。しかも、下巻に当たる2巻が見当たらなかった。誰かよからぬ者が、こっそり持って帰ってしまったのだろうか。
お店ができたときからずっと吊り下がっていそうなまばゆいシャンデリアや、ペンダント型の赤いガラスの照明、壁のあちこちにかけられた油絵や、古びた柱時計。少し雑然とした、といったぐらいの、あちこちで見つけてきたらしいものを寄せ集めた古めかしい店内は、驚くほど昔のたたずまいのままなのに、やはり少しずつ変わっていくものがあるようだ。
でも、変わりようがないのは、ずっと使い続けているらしい黒いテーブルや、暗い色の壁面に、ところ狭しと刻まれた落書きだろう。
自分の名前や、相合傘がびっしりと彫りつけられていて、文字が重なり合ってそれぞれの判別がつかないぐらいになっているところもある。そう、昔はこうやって、こっそりどこかに好きな人と自分の名前を一つの傘の下に書いて喜んだり、あるいはつき合っている人たちをからかうつもりで、ちょっと目につきそうなところに書いたりしたものだ。
そして、改めてよく見ると、自分の着いたテーブルの黒い板面には、そういった名前のほかに、「憲法の精神に勝利あれ」なんて大仰な落書きもあった。その少し上には「革命」という書きつけも見える。こんな大それたものを書いたのはきっと、昭和の時代の大学生だろう。
そうやって小さな喫茶店の片隅で自分のたぎる思いをぶつけたり、自分の生きた証を残そうとしたりしながらも、大学を卒業したらもう二度と来なくなってしまったようなお客もこのお店にはいるに違いない。そもそも、こんなものを書いたことすら忘れてしまっているかもしれない。そして、このなにより時代の積み重ねを感じさせる、落書きの残る壁やテーブルも、このお店がなくなればいっしょに跡方もなくなってしまうのだ。
実は、このたび私が久しぶりに「邪宗門」に行ってみようと思い立ったのは、ついにこの一画も取り壊されるという噂を聞きつけたからだった。
たとえ新しいビルに建て変わってもそこでお店を続けたり、あるいは近くのどこかほかの場所で続けることはできるかもしれない。でも、それはもうこの時を刻んだ「邪宗門」ではないし、そこにはもはや、和枝さんがいるかどうかもわからない。この歴史を丸ごと包み込んだような空間は、この建物がなくなればいっしょに消えていくしかない運命なのだ。
それが正確にはいつかは知らないけれど、70年近く続くというこのお店も、どうやらそのことを覚悟しておかなければならない時期に来たようで、そう思うとあたりまえのことだけれど、なにもかもがずっとそのままそこにあってくれることなど決してないのをひしひしと感じさせられる。
でもいつそうなるのかをお店の人に尋ねてみる気にもならず、ただ私はこれまでどおりに飲み物に口をつけながら、しばし独特なこのお店の雰囲気に身を委ねていた。
私はこの空間が消え去るまでに、後何回ここに来ることができるのだろうか。
でももしかすると私は、この何十年かの間で、すでにこの場は存分に堪能させてもらって、十分に味わい尽くしたのかもしれない。
あまり欲張ってはいけない。願わくば、その時が来てもあわてず騒がず、ただ一抹の哀惜感でもって迎えられればと思う。
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