人生の最高と最低を経験した多忙な3年間の記憶ー自分史高校生編ー
それは、今のところの人生で一番嬉しかった瞬間と一番試練になった期間を両方経験した、高校三年間だった。
このnoteに出会ってくださった貴方様こんにちは。普段あれ欲しいこれ欲しいと思っているくせにいざ誕生日プレゼント何欲しい?と言われると何も浮かばない。強欲なのか無欲なのか。ブレまくり大学生ねこほんと申します。
初めて会った人に「大学3年生です」と言うと「あっじゃあ今就活大変ですか?」と返されるようになった。「あっっっ、ハイ、笑」と応じるも、自分はまだ"大変"と思ってはいけない、そこまで頑張れていないじゃないかと、その人に対してウソをついているような後味の悪さが残る。
私は今年度のうちに"大学3年生"になれるだろうか。
ともあれ自分史の記録はちゃんと残しておこうじゃないかと。今回は高校生のころのお話。
ここで前回までのあらすじ!
思考の95%がネガティブで構成される中学生は、陽オーラで埋め尽くされたクラスを愛想笑いで耐え抜きながら、今日も図書室と音楽室へ逃げるのであった。
つづく!
そう続くのだ。なんと高校1年生まで。
入学2日目。私は席が近くの女子6人となったいわゆる「おべめん」と、全く合わないことを察した。
話題といえば昨日観たアニメのことくらいしかない私と違ってインスタグラムから得た今の流行を楽しむ彼女たちは"JK"への道を順当に歩んでいた。急に輪を抜ける勇気など持ち合われていなかった私は、中学時代に培った愛想笑いを浮かべてその1年を過ごした。全くもったいない1年間であった。
ここで登場するのが図書室。逃げ場所である。
中学に続いて所属した図書委員会は貸出業務に加えて蔵書点検の手伝いやビブリオバトル校内予選参加など仕事が多かったが、結局3年間続けた。中学と違ってアニメージュなど雑誌も置いてあり、校内の喧騒から離れ、居心地が良かった。文化祭で手作りのブックカバーや古本を販売したのも懐かしい。このとき読んだ中だと『屍人荘の殺人』をすぐに思い出した。ただのミステリーじゃないホラー要素が斬新でおもしろく、司書の先生に感想を話した覚えがある。本の感想を聞いてくれる人の存在は貴重だった。
吹奏楽部にも3年間所属した。
音楽室が逃げ場所の一つ、かどうかは微妙なところである。技術も人望も人の良さもあるパートの先輩たちより何もかも劣って迷惑をかけてしまう不甲斐なさや、パート内に同級生がいなかった孤独から逃げ出したくなることがあったからだ。
ただ、部活のために学校へ通っていたとは言い切れる。
良くも悪くもそうするしかなかった。
たとえば高校2年生の夏。今のところ最も忙しかった夏。オフはテスト期間とお盆くらいなものだった。夏休みは朝から夕方までみっちり練習。ひたすら音程合わせが続いたときもあった。予選数日前には京都アニメーションの事件があり、そのころすでにアニメを仕事にしたく全てのアニメスタッフを尊敬していた私にとって大きなショックで、精神どん底のまま泣きながら音楽室へと重い足を引きずったこともあった。
結果、同部活史上最高成績で長い夏を終えることができ、大きな達成感を味わった。心から頑張ってよかったと思えた。
これが一番嬉しかった瞬間に見えるが、実はそれはその数か月前にすでに起こっていた。推しとの初対面である。
某月某日、そのとき私は某ドームのアリーナ最前列にいた。。。
目の前で笑顔で手を振る推し、歌う推し、喋る推し。宇宙猫の私。
初めて会えた瞬間は、初めて嬉し泣きを経験した瞬間になった。嬉し大大大号泣か。
そんなこんなでいろいろな歓喜に巡り合えた高校2年生。クラスでは今でも仲が良い友人もできてなんとか平和にやれていた。
そこへコロナ襲来である。
コンクール中止の知らせを見たときは少し泣いた。
まとまりがなく先輩や後輩から呆れた目で見られがちで、だけど仲はものすごくよかった同期たちと、最後は全力で夏を過ごしてみたかった。
待っているのは受験だけ。目ぼしい指定校枠がなかった私は軽い気持ちで一般受験することに決めた。後々自分の甘さを模試で痛感しつつも、たくさん勉強した。常にマスクをつけながら。
地獄が来たのは共通テストが目前に迫った年明けのことだった。
頭痛がいつまで経っても治らないのだ。熱はないが気分は悪くなる一方。三学期初日には人生で初めて保健室にお世話になった。
帰るために戻ったクラスで同じく一般受験の友人と会い、頭痛が治らないことを打ち明けながら泣いた。「泣いた方がいいんだって」と笑うことなく励ましてくれた。
母に迎えに来てもらい、病院に行った。少しだけマシになった。病院に行く前作ってもらったお粥の美味しさたるや今でも覚えている。
大好きな推しの明るい曲も聴いた。お守りにとグッズを肌身離さず持った。
たくさんの支えがあって、無事に全ての受験を終えた。
そして今、かつて憧れた大学でずっとやりたかった日本文学を学んでいる。
朝練、授業、午後練、休日練習、引退後は受験勉強。忙しい3年間だった。
「頑張る」しんどさと楽しさを同時に体感した高校生活。
一生ものの友人もできた。あの高校に入学してよかったと思う。
キラキラJK!ウチら最強!!とかの文句が聞こえてくるとアーーーーと耳を塞ぐが、中学生のころよりは明るく過ごせた自信はある。
今回振り返って書いてみて、私は、頑張ることが少なくとも嫌いではないのかもしれないと思った。(まわりくどいな)
頑張った記憶を糧にして、頑張りたいときに、頑張れる人でありたい。
こうして高校生のころの自分を頑張ったと少しは褒められるように、今の自分も、未来の自分から認められるようにしたい。
そういえばあれは貴重な部活オフ日のこと。いざ何も予定がないとなにをしていいのかわからなくなってしまっていた。
誕生日プレゼントが決められない今の自分と、なんにも変わっていなかった。