見出し画像

元社畜のおじさんがスノーボードスクールで働くようになった話

ご無沙汰してます元社畜です、辞めて1年たって自分が人に使われてたなんて想像出来ないくらい自由で適当です。今回はそんなおじさんが、なぜかまた人に使われる様になった話。

家を建てたり薔薇を植えたりした話もありましたが、おじさんが家庭の次に心血を注いで来たのがスノーボードです。特に楽しくもなかった仕事は常に自分内ヒエラルキーの底辺でした、正直言って稼げはするけど自分に誇りを持てない仕事でしたので。

そんなおじさんがハタチ過ぎの頃に出会ったのが、当時最先端で新しくカッコよくて女の子にモテそうだったのがスノーボードでした。もちろんスノーボードをやったから自動的にモテる訳などなく、街角のナンパとか合コンとさほど変わらぬモテスキルが必要なのは後で人生を振り返ってからの気付きでした。

詳細は割愛しますが結論から言うとおじさんはスノーボードから、人生で本当に大切な事のほとんどを得られました。信頼出来る仲間に大切な家族、スノーボードで出会った家族と仲間と過ごす時間の何と尊い事よ。

でもそんな時間は東北の田舎から首都圏に引っ越して来ていったん仕切り直しかな、とその程度の事は思っていましたが。昨今のコロナ禍によりある程度のエポックメイキングに、有無を言わさずにならざるを得ませんでした。もう日本近代史で言えば戦前戦後レベル、何もかも変わってしまった。

気のおけない仲間との楽しいセッションも、年末年始の帰省してかつてのホームゲレンデで懐かしい顔と挨拶を交わす楽しみも。2歳の息子に故郷で初めて体験させるはずだった初スノーボードも、何もかも不可能になってしまったのです。オリオンバスとかのツアーも考えてはみたのですが、調べれば調べるほど何か違うなあとしか思えませんでした。おじさんはホームゲレンデのシーズン券を買い、仲間との時間をゆっくり楽しむスタイルでしたので。

そんな事を考えていたおじさんはある日奥さんから、あなた田舎に居て嫌な仕事してた時より元気がない。このままだと心を病んで取り返しがつかなくなるかも知れないから、お願いだから好きな事をして気を紛らわせて。と言ってくれました、と同時に驚きを禁じえませんでした。俺、そんなに弱ってる様に見えるのか。

そしてもちろんスノーボーダーである奥さんが、昔のツテをたどってスノーボードスクールの仕事を紹介してくれました。場所は一応伏せさせてもらいますけど、甲信越のどこかですね。奥さんの紹介なら是非お願いしますとの事でしたけど、まあ一応面接は受けてきました。履歴書は印刷して名前だけ自筆にしました、手書きじゃなきゃ認めないような所では働きたくないでござる。

そこから先はとんとん拍子で講習会やら雇用契約締結やらのタスクをこなし、関越道が大雪で立ち往生したあの翌日辺りに初めてのレッスンをこなす事が出来ました。最初の生徒さんは22歳のかわいい女子大生で、セクハラとか何ハラとかにならない様に滅茶苦茶に緊張しながらも2時間のレッスンの終わり頃には連続ターンをこなせる様になりました。

何というか感無量でしたね、あれほど心血を注いでもう満足と思っていたスノーボードからまたプレゼントをもらった気分でした。ついにスノーボードで稼げる働ける人生にまでなってしまった、こんなに面白いおかしくていいのかな。いやいいに決まってる、おじさんの人生山も谷も有り過ぎて平地とかよく分かんなくなってたし。

そして日曜の日が暮れればまた首都圏に帰ります、そうおじさんは奥さんが休みの週末旗日だけの雪山パートタイマー。平日は息子の送り迎えと家事育児をこなしながら、二児の父としてUber配達員として忙しい日々を送るのです。

こうして元社畜おじさんは、Uber配達員と主夫とスノーボードスクール勤務の、三足のワラジを履く人生になったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?