見出し画像

〔雑記帳〕価値観

「価値観」というのは曖昧にも思える言葉だが、とても重い言葉でもある。時々、離婚理由として「価値観の違い」があげられると、「これは表向きで、本当は何か他にあるんじゃないか」などとしたり顔で言う人もいるが、私は「価値観の違い」で離婚することは充分あり得ると思っている。

もちろん価値観が全く同じ人間などいるはずがないので、夫婦でも友人でも、多少の相違なら相手との落としどころを探してやっていける。ここまでは許せるけどこれ以上は無理、という「許容ゾーン」がある程度あれば、多少の気遣いでお互いにそこまで嫌な思いをせずに済む。だが、「どうしても無理」という価値観の違いは、譲ることも我慢することも出来ないものだと思うのだ。

「価値観の違い」を私が強く感じたことは何度かあり、そのうちの1回は子どもがまだ小学生の頃。通っていたスイミングスクールで毎年行われる「クリスマス会」を、うちの子どもは楽しみにしていた。参加は申込制で決して強制ではなく、参加者はスクールからバスで会場に向かう。みんなでワイワイと晩ご飯を食べたり歌ったり、スクールのコーチが仮装したサンタさんも登場する、とても楽しいイベントだった。

ただ、参加費は確か六千円~八千円で、当時の私にはスイミングスクールの月謝とあわせるとなかなか厳しい出費ではあった。12月はクリスマスプレゼントも必要だし、正月用のお年玉も用意しなければならないし、何かと出費のかさむ時期なのだ。それでも、このイベントから帰ってきたときの子どもの嬉しそうな顔と言ったら、私まで嬉しくなってしまうぐらいだった。だから、子どもが少し大きくなって「今年はもういいや」と言うまで、何度も参加していた。

そのパーティーに参加する際、「500円程度(300円だったかも?)」のプレゼントを用意することになっていた。パーティーの終盤で、プレゼント交換を行うためだ。「食品や生き物以外」であれば何でも良く、会場に入るときにコーチがプレゼントを預かり、誰がどれを持って行ったかは分からないように混ぜておくそうだ。詳しい仕組みは忘れたが、音楽に合わせて渡していくとか、抽選でとか、とにかく1人にひとつ、プレゼントが渡るようになっていたらしい。

それとは別に、お土産としてスクールからプレゼントは貰っていたので、このプレゼント交換は「何をもらうか」よりも「楽しいイベント」として行われていたのだろう。子どもと2人、プレゼントを買いに行くのも私は楽しかった。予算内で「自分が貰って嬉しいもの」「男の子でも女の子でも喜んでくれそうなもの」を考え、相談しながら決めた。子どもが「これは自分で買いたい」とお小遣いから払い、お店の人にプレゼント包装をお願いしていた。文房具とか、日用品とか、どうしても種類は限られるが、ガッカリされるよりはワンパターンで良かったと今でも思う。実際、うちの子どもが持って行ったプレゼントを受け取った子が「うわ、カッコいいシャープペン!やったー!」と言ってくれたそうで、親子で「それは良かった」とほっこりしたこともあった。

息子が貰ってきたプレゼントも、男女どちらでも使えそうな手袋だったり、面白い文具だったり、貰ってガッカリしたことは1度もなかった。だが、そのパーティー会場で仲良くなった子に当たったものは、酷いとしか言いようが無かった。雑にラッピングされた箱から出てきたのは「大きめの鈴がひとつ」だけ。しかも、細かなキズがついていたりして、新品ですらなかったという。子どもいわく、「どう見ても、家にあった要らない物をざっと包んだ感じ」だったそうだ。仲良くなった子は少し悲しそうな顔で、「僕、去年もハズレだった」と。聞くと、「去年はちょっと使い掛けの、大きな消しゴム1個」だったとのこと。俄には信じがたいが、どうやらそういう物を平気で持たせる親もいるらしい。その子自身は、うちの子と同じように、一生懸命考えてプレゼントを買っていたと言う。それを聞いて、私は涙が出そうになった。楽しいはずの、ワクワクするはずのクリスマス会で、なぜそんな悲しい思いをしなければならないのだろう。

例えば、好みではないキャラクターや色の物が当たるのは、まあ仕方がないことだと思う。例えばブラックやブルーのシンプルな物が好きな子に、キラキラしたピンクのハンドタオルが当たるとか。それも残念ではあるだろうが、「自分が欲しい物をプレゼントに選んでしまう」行為に、悪意は全くないはずだ。配慮に欠けるところはあっても、子どものことなので、これなら笑える話だと思う。

だが、それと「家の不要品」を適当に包装してプレゼントに見せかけるのは、全く違う。そこには悪意に近い自己中心的な思考が見えて、とても気分が悪い。そんな価値観の人とは付き合いたくはないし、近付きたくもないと思う。悲しむ子どもの顔を想像できない大人、またはそれを想像できても何とも思わない大人。パーティーの参加費は払えるのに「500円」を出し渋る大人。それでいて自分の子どもが良いものを貰ってきたら「ラッキー」とでも思うのだろうか。あまりにも卑しく醜いと、私は感じてしまう。

こういう行為を「恥ずかしい」とも「あり得ない」とも思えない人とは、分かり合えるはずもないし、分かり合いたくもない。ここまで決定的に価値観が違うと、もはやエイリアン。私に出来るのは、出来るだけ遠く離れることだけだ。すり合わせも落としどころを探すのも、時間と労力の浪費にしかならないだろう。有り難いことに、私は今までそういう人と直接関わったことは無い。何とかこのまま違う世界で生きていきたいと、心の底から願っている。

いいなと思ったら応援しよう!