暗黒阪神の激ヤバさ(その1)

15シーズン中14回のBクラス、うち最下位が何と10回!「ダメ虎」「三振タイガース」と馬鹿にされた阪神の暗黒時代の激ヤバさを語りたいと思います。ポイントは絞ると3つあると思います

ポイント1  トーマス・オマリー謎の解雇
ええ、自ら六甲おろしを歌った物がCD化されたり阪神ファンからも大人気だったオマリーさん。広角に打ち分け、なかなかパワーもある好打者でしたね、動きはトロいのですがグラブ捌きはなかなかのものでファーストやサードを守りゴールデングラブ賞を1度獲得しています
このオマリーさん、何と首位打者1回、最高出塁率に至っては何と4回獲得しています。オマリーさん以降で最高出塁率を4回獲った選手はイチローさん、柳田悠岐さんのみ。いかに神外国人だったかわかって頂けると思います

ところがオマリーさん、1994年オフになぜか突然解雇されてしまいます。当時まだ子供だった私は意味がわからず(ちなみに今でもわかりません)気が動転していました。理由は「長打力不足だから」との事。ここでオマリーさんの1994年のOPSを見てみますと.899という数字を残しています。これは当時リーグ5位でまだ狭い球場をホームとする球団が多い中、広い甲子園では充分過ぎる数字でこの年は3度目の最高出塁率、前年には首位打者、OPS王を獲得しています。何という事でしょう!簡単にリーグトップレベルの打者を放出してしまいました。確かに当時OPSという概念は普及していませんでしたが、それでもです。阪神フロントは出塁率や二塁打の数も見ないんでしょうか、そうですか。しかもこの年のオマリーさんの年俸は1億8000万、後に契約したヤクルトの年俸は1億7500万、つまりお金の問題でもありません(ていうかトップ選手なんだからそんくらい出して!!)。「素行が良くなかった」などの噂もありますが言い訳ですね、ヤクルトでは主力としてチームの優勝に貢献しましたし、その位の選手を上手く扱えないようでは強いチームとは言えませんよね

オマリーさんは結局ヤクルトに行く事になるのですが、多くの阪神ファンの予想通り大活躍してしてしまいます
1995年にはシーズンMVP、日本シリーズMVPを獲得、
小林-オマリーとの14球という名シーンまで演出
してしまいます。1996年も充分過ぎる程の成績を残してNPBを去る事になります。一方オマリーを手放した阪神は連続最下位で、この間阪神何かありましたかねいつも通り応援していましたが新庄の髪型が変わったとかいうどうでもいい話で盛り上がってた気がしますね
とにかく辛い思い出でした

次回 ポイント2 トレードが下手過ぎるに続きます
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