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2月25日 つべこべ言わずに山へ行け。
今日私は一人で登山をした。
標高500mほどのこどもでも登れると聞いていた山。
いい運動になるだろうと向かったその先で山の怖さを思い知る。
実際登ってみると話に聞くのとは大違いだった。
まず平地ではすっかり溶けていたので忘れていたのだが、昨日降った雪がそのまま残っていた。
イメージしていたハイキングコースとは程遠く、一応整備されているとはいえゴツゴツの岩が続く道は手をつかないと転びそうだし、何より自分以外誰もいない。
「滑落」という言葉が頭をよぎる。
普段運動を全くしていない体はすぐさま悲鳴をあげ、膝が痛くなってくる。どんなに体が痛くても、疲れても、誰もいない山の中。
ただひたすら登るしかない。
私、このまま死ぬこともあるのかな。
そんなことも思いながらとにかく登る。
頂上付近に近づき他の道との合流地点でようやく幾人かとすれ違う。
人がいることの嬉しさと言ったら。
とんでもない悲壮感を抱いていた私を横目に、チワワを抱っこしたマダムが横切っていく。
どうやってこの険しい山を登ってきたのか。
そうか、そもそもこの山は近隣の方にとっては毎日登るような親しみのある山なのだ。
皆こんなことを平然とこなしているのか、と思うと愕然とした。
頂上はとくに見晴らしがいいわけでもなくちょっとがっかりしたが、行きたかった神社と御陵に行けたので満足はした。
帰りは行きとは違う道。
きっと行きの道が険しかったのだ、あまり皆が通らないルートだったのだ、という願いもむなしく、帰りは帰りでひたすら辛かった。
途中で会ったおじさんに「あともう少しですかね」と聞くと、まだ半分、と言われた時の絶望感。
平地になったと思い油断したら木の根に引っかかりこけそうになる。
登ったからには降りなきゃいけない。
体力も経験もない私は歩くことに精一杯で周りを見る余裕も、楽しむ余裕もない。力があったらもっと楽しめるのに。
そうか、これが登山か。
ここには人生の全てが詰まっている気がした。
歩いていると時々ザザーッと音がして、雪の雨がキラキラ光る。
鳥の声が聴こえ、遠くに奈良盆地が霞んでいる。
疲れた時に飲むお茶の美味しさ。
ご褒美はところどころに張り巡らされ、終着点では神社が待っていた。
無事戻ることができました、ありがとうございました、と
標高500mの山を登っただけとは思えない大袈裟な感謝をし、一般道に出る。
そこには雪は一切なく、明るくて、賑やかな世界が広がっていた。
私たちのいる世界がどれだけで安心で、信頼できるのか。
それをわかるだけでも山に登る価値はある。
でも山登りの真髄は本当のところにあるのだと思う。
人々は皆気づいているのだ。
山の中にいる自分が本当の自分だと。
孤独と向き合い、あらゆるものを恐れ、だからこそ美しいものと出会える。
これこそが人間なのではないか、と。
何かに迷ったら山に行けばいい。
きっと山は教えてくれるはずだ。