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2月13日 サンクチュアリ
神社に行けば気を分けてもらえる。
近くに神社はいくらでもあるのだからそれを使わないのはもったいない。
と、以前YouTubeで誰かが言っていた。
「元気になる」というのは「元の気を取り戻すこと」。
この「気」というやつは自分で作り出すことは難しい。
だから分けてもらうのだ、と。
その話を聞く前から神社オタクの私は全国津々浦々いろんな神社を巡っているわけだが、節目節目で訪れるのは泣く子も黙る大神神社だ。
日本最古の神社と言われる大神神社は我が家から車で40分くらいのところにある。
今年はまだ行ってなかったなと、1人でふらりと訪れた。
大神神社は平日でも人で賑わっている。
拝殿や狭井神社に参拝した後、いつものお気に入りの場所に行く。
ほんの少し歩いた先にあるのにそこに人がいたことはない。
山の中にある二つの磐座。
誰もいない中、そこで行われていたであろう祭祀の様子を思い浮かべる時間は、まるで自分自身が時空を超えたかのような神秘的な気持ちを味わえる。
と同時に、ピシッと空気が張り巡らされた森の静寂は若干の恐怖も運んでくる。
自然の中にたった1人。
自分なぞこの大いなる世界の一構成物でしかなく、たった一つの神の気まぐれでどうにでもなってしまうのだという無力感。
でもだからこそ、ここには神と自然と自分が等しく存在するのだという一体感がある。
この一体感こそを求めて私は毎回ここを訪れるのだ。
まるでパラレルワールドのような神秘的な空間から、5分もすれば元の人で賑わう神社に戻れる。
裏側の世界というのは案外こういうものなのだろうなと感じる。
すぐそばにあるのに気づいていない。
表の世界と裏の世界。
真理を追い求めるのは一生のロマン。