記憶の中の父
父の日ですね。
私の父はもういませんが、父の日でなにかしてあげたという記憶がほとんどありません。
小学3年生の頃に父と母が離婚し、小学校入るころには家庭内いざこざが起きていたので、おそらく父の日をしたであろう猫藤は保育園とかの小さい時だけ。
それもきっと父の日だからとお父さんの似顔絵とか描かされただったとかなんだろうけど。
父が亡くなって20年。
父が亡くなった50歳までどんどん近づいてきている。
唯一、父に似ている猫っ毛で柔らかい髪の毛も
今は副作用のせいでごっそり抜けてしまったけど、
抗がん剤を止めたからまた復活してきてくれるハズ。
がんばれ私の毛根たち!!!!!
どうしても父との思い出は悲しい記憶のほうが強く残っているけど、
その奥で過保護とも言える父の優しさも少なからずは思い出される。
ブラウン管のテレビくらい粗い画像でしか出てこない鮮明さはない記憶。
ぎこちない父の優しさはなんとか娘のご機嫌をとりたくて、お金や美味しいもので取り繕われていたものだった気がする。
あなたにもらったこの身体を
この40年でたくさん自分で苦しめ痛めつけて癌まで作ってしまったよ、
ごめんね。
それでも、あなたがいないと私はこの世の中に誕生できていなかったわけで
ありがとう、お父さん。
飲酒していた頃ならお父さんが好きだったSuntoryの角でハイボールで乾杯ってしてただろうけど、今はお酒飲まなくなっちゃったのでAIちゃんのパパへを聴きながら懐かしい写真でも見直してみようかな。
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