見出し画像

時事考察:山上徹也

山上徹也を礼賛する人が少なくないという。日頃から印象操作で世論を動かしているマスメディアが挙って山上徹也のお涙頂戴物語を発信しているのだから、不思議もない。
そのマスメディアによれば、山上の母親は、会員数が400万人以上いるとされる実践倫理宏正会に入会してから育児と家事を後回しにするようになったという。そんな妻を怒鳴りつける山上の父。会の活動のために出かけていく母親を山上たちは泣きながら追いかけた。父親はノイローゼになり投身自殺を図る。その後母親は統一教会に有り金をすべてつぎ込むようになる。我慢の限界に達した山上の祖父は実の娘に包丁を突きつけ、カルト教団への献金を止めさせようとする。山上は、傷害を持っていた実兄、そして妹を自身の死亡保険の受取人にし、自殺を試みる。未遂に終わった山上の自殺行為から数年後、今度は兄が自らの命を絶った。
この悲惨な家族崩壊の物語はすべて大手メディアが発信した内容になるが、これらが事実であるとすれば、母親に振り回され続けた山上に哀憐の情を感じるのはごく自然なことであるし、山上と似た境遇に置かれた人たちが、山上を英雄視してしまう心情も理解できる。
新興宗教、あるいはカルト教団を装った詐欺集団は、心の拠り所や救いを、金銭と引き換えに得ようとする惨めで哀れな人たちを口車に乗せる。騙された信者は、奉仕の見返りに自分は救われるという疑似体験を得る。疑似とはいえ、救われると思い込むことで彼らなりに生きる活力を得ているのだろう。しかしその自己満足は、不幸の連鎖へと形を変える。こうした負のスパイラルを生む社会システムがなくならない限り、いずれ第二、第三の山上が現れる未来は避けられないだろう。
こうして、心の拠り所や救いを、金銭と引き換えに得ようとする心理が生み出す不幸な社会的構造は、カルト教団と称される詐欺集団を筆頭に、ホストやホステス、アイドルグループなど、対象こそ違うものの社会の随所に巣くっている。

山上徹也という人間が血も涙もない極悪非道な人間であるとは思わない。もしそうであれば、兄と妹にお金を遺して死のうとは思わないだろう。また、目的のために手段を選ばないような無法者であれば、当初予定していたとされる方法で、無関係の人を巻き込むことも厭わなかっただろう。自暴自棄になり、事理の是非の分別を見失い、世の不条理を終わらせようとしたということは考えられる。
もしも山上が標的に選んでいたのが、山上家を直接的に崩壊に向かわせたカルト教団関係者だったとしたら、こうして、教団に対する世間の嫌悪感や不信感が集中し、存続の危機にさらされるようなことはなかっただろう。そういう意味で山上は、最小数の犠牲から最大数の変化を成し遂げるために、思慮深く行動したように思える。
だがしかし、いかなる理由があろうと、犯してはいけない過ちを犯すことはいわば悪魔に魂を売る行為であり、毒を以て毒を制することは別の悪を生むことに他ならないことであり、犯罪の行為者を礼賛し、英雄視することこそが、山上家を崩壊させ、山上の兄を死に追いやった母親のようなカルト信者がしていることなのだ。それこそが、山上が何よりも憎んできたであろうことで、そうした扱いを受けて本人が喜ぶことは決してないだろう。