
にゃるらを倒さなくていいから一度会ってみたくないか
だいぶ前からだと思うが、界隈で『にゃるらを倒してやろうブーム』が盛んになっていると思う。彼らがにゃるらを"倒す"為になにをしているかは知らないが。そしてタイトルにある通り、にゃるらなんか倒さなくていいから一度会ってみたくないか?

確かに彼は売り上げウン百万本の異色のゲーム作者だし、それで燃え尽きることなく新たにアニメの原作も監修している夢見たいな人物でしかも顔整いだけれど、
よく思い出してほしい。
みんな本当ににゃるらになりたいのか?
"にゃるらを倒す“とは自動的に彼の上位互換になる為に彼をお手本にすることだと勝手に思っているが、みんな本当にお手本にしていいのか?
完全に自分の価値を創作執筆に置き、創作できない自分はゴミだと自分に言い聞かせるような生き方、辛くないか?
彼が実際にそう考えてるとは限らないが、それでも何か辛そうじゃないか。
実際、にゃるらによって『にゃるらを倒すには』のnoteがいつものように更新されたときは自分も『やっぱりそうだよな、そのくらいやらなきゃそうはなれないよな』と思ったが、結局行動に移すことはなかった。自分の場合、『やらなきゃ』なんて気持ちは原動力にはならないのだ。結局noteを毎日始めることにしたのはつい最近だし、きっかけも『自分が日常を楽しんでいる事を自覚したい為』であった。
人それぞれやり方もタイミングも違うのだから、みんな自分の人生を生きるべきだし、決して体を削りながら自分の創作物を自分の価値に還元するなんて事し続けていたらゲームオーバーになるに決まっている。
だけれどにゃるらの幸せはにゃるらの物だし、彼の生き方に文句を言うつもりはない。間違って伝わってしまったらとても悲しい。
もう全部、楽しくやろうじゃないか。その過程で運良くにゃるらの姿を実物で拝めたらなお良い。
もう辛いのはこりごりだ。
辛いことなんて世間が勝手に運んでくるんだから、わざわざ自分で作る必要なんてないんだ。