ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑤
「ちびちび飲みながらヘッドフォンで聴くと、音がぐるぐる廻るから、すぐ酔っぱらっていいよ」と、廃墟で拾った白いコーヒーカップに、ストレートの芋焼酎を出してくれるUちゃん。言われたとおりにヘッドフォンをつけて、ジミ・ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」を聴くと、本当に音が頭の周りをグルグルとまわります。それから彼女は押し入れに隠してあるブラウン管をレーザーディスクプレーヤーにつなぎ、映画「ラストワルツ」や「パープルレイン」などを見せてくれました。気に入った作品は画質の良いレーザーディスクで買うのも彼女のこだわりのひとつ。
湾岸戦争の始まった1991年。国分寺駅の坂をくだった先にあるUちゃんの下宿を、私は頻繁に訪れていましたが、この日、Uちゃんは、それぞれの気になる男の子に関する提案を持ちかけてきたのです。
私はUちゃんと同じクラスの、JAZZ研でトランペットを吹いているSくんのことが気になっていて、汚いデニムにネルシャツ、革のズックに軍モノの布のショルダーバッグを斜めがけにしている様子から、ハウス名作劇場の少年が下げているクッタリした鞄の中にいつも剥き出しで入っている白いパンを連想していました。でもUちゃんはSくんの白い顔と寝癖で膨らんだ頭をコージーコーナーのシュークリームに見立て、裏で勝手に「ビッグ・シュー」と名付けていて、そのシュークリームをふたりで買って、道端に座って食べたり、名曲喫茶「でんえん」に持ち込んで濃いコーヒーと交互に飲み込んだりするたびに「ビッグ・シューを頭からかじって、嬉しいんでしょう」とニヤけて言うので不気味でした。
Uちゃんのお気に入りは、一学年下のロック研にいる、腰までのロングヘア、背が高く頭蓋骨が大きく目鼻立ちのはっきりした、花柄シャツとパンタロンの男。そこでも勝手な呼び名をつけて「ベルト」と言っていましたが、由来は教えてくれません。「本当に大切なものを人に言ってはいけない、盗まれるから」という持論もあったようです。Uちゃんにとっては、こちらからモジモジ近づいていくなんて馬鹿げたことだけれど、対等ぶってチャンスを待つ間に「ベルト」が誰かとくっついてしまうのではと、気が気ではないようでした。
そこで、今日の提案がこの交換条件だったのです。Uちゃんの大切にしているビデオカメラHi8を教室に仕掛け、授業中の「ビッグ・シュー」を私のために盗撮してくるので、代わりに男子トイレに行って、Uちゃんに関する卑猥なラクガキをするのを手伝ってほしい、と。
当時の公衆トイレには必ず汚いラクガキがされていて、書いた人の心の中がぶちまけられていました。美大のトイレは、美大生がそれほど抑圧されていないせいか、そこまでひどいものではありませんでしたが、ラクガキが当たり前すぎて私が気にしていなかっただけかも。今のSNSと違い、ペンの種類や筆跡もバラバラ、手描きのイラストもふんだんに添えられ自由そのもの。なんの規制もないわりに、似かよったものが多かったのは不思議です。
Uちゃんの狙いは、その男子トイレのラクガキを利用し、裏で男どもの話題になって自分という存在を手っ取り早く「ベルト」に知らしめたい。この世には、男同士でだけ話題になっている、私たちの知らない「特別な女の子」が存在している。自分もそれになったら、こっちは大した努力もせず自動的に「ベルト」の興味をひける。彼女は本気で、確信に満ちていました。
学校中の男子トイレに自分自身の卑猥なラクガキを描きまくるのもかなりの努力ですが、その軽犯罪が彼女の自己表現でもあったのでしょう。Uちゃんは夜中のモノ拾いの時も用心を重ね完全防備の黒づくめ、足音も声も潜めてとても慎重だったし、ミニスカートの時でも峰不二子のようにいつも太ももにナイフを携帯したいと言っていたので、その上での決断だったはず。
話しながら、彼女は、ビデオデッキを大切なHI8に繋いで、レンタルビデオを8ミリのビデオテープにダビングするという、最近編み出した方法で、駅前の特殊なビデオ屋で借りたソフトポルノをダビングしています。小さいサイズで揃うところが気に入ったそう。内容はほとんど無いけれど、建物や服がなんとも良いと見せてくれたその映画のことは、男優の顔が驚くほどうちの父に似ていて、すごく落ち着かなかったので良く覚えているのです。
Uちゃんがダビングしていた映画「shining sex」
https://www.italo-cinema.de/italo-cinema/item/shining-sex