いま思うこと

長兄の奥さん。ひとつ年上の義姉が亡くなったのは、コロナ禍の前年。

心サルコイドーシスの診断が下されて、ペースメーカーも入れたのに。肺に血液が溜まってしまってて3年前に心停止を起こし、蘇生は出来たけど意思疎通は出来なくなった。そこから9ヶ月半。台風通過で強風の日だった。

2番目の兄が言った言葉が忘れられない。

「医療って残酷だな」

長兄一家にとって、もう安心して過ごせる日々を迎えたはずだった。診断が下るまで何回も受診し、何回も病院が変わった。

義姉とは私から距離をおいていた。でも、長兄にとっては愛する人であり、甥姪にとっては大好きなママであった。命が消えるのはもっと先だと、誰もがそう思っていた。義姉自身も。

目を開けることはあっても誰かと視線を交わすことなく、またまぶたを閉じてしまう義姉。長兄や甥と共に会いに行って話しかけると、数年ぶりに聴く私の声に反応したのか、目が開いた。何度も。視線の先に甥を座らせ、視線を交わすことが出来た。


義姉がなくなり、コロナ禍に入り、病院では自由に面会が出来なくなった。勤めていた病院の病棟を歩くたび思ったのは、不謹慎にも、義姉が亡くなったのがコロナ禍前で良かったという事。言葉を交わすことができなくても、長兄一家にとってお互いを感じる大事な時間だったから。


あれから次兄が言う。

「人間いつ死ぬか分からない。それならそれまでにやりたい事を全部やってやろうと思った」

コロナ禍でアクティブに過ごしているとは思った。時世を考えても、その想いを否定することが出来ない。続くはずの『生』の保証がない。

第五波時には、もし罹患したら兄妹で物資を。そう話した。これからも。いつでも。お互いが生きている限り。

義姉の病が知らされなければ、私の心臓も治療に入ることはなかっただろう。不急の検査であるため確定させらることの出来ないまま投薬だけが続く。検査を受ける病院になるであろう元勤め先の医師も時期を示せない。

ストレス過多になると明け方に起こる発作。ニトロを飲めば痛みも落ち着くだろうに、ニトロまで手を伸ばすこともままならず、届いても手に力が入らず、封を開けられない。

それでも服薬開始前より痛みや苦しみは強くないと思う。主治医は、ストレスを避けろと。

だが生きていればストレスはかかる。ひとつのストレスが頭の中を占めてしまうなら、他の新しいことを詰め込んでストレスを受けた記憶を書き換えて行く。それでストレスをかわしていく。


義姉は、何かやりたい事はなかっただろうか。距離を置く前は、当時ジムに通っていた私を羨ましがっていたりもした。会わない数年の間に何をしていたのかは分からない。

去年の今。変わっていく日常。中に立ち入れば外界とは別世界。増える装備とルーティン。自分も他との接触をギリギリまで遮断した。何度も思った。義姉が、今入院していなくて良かったと。

 

次兄のふたつの言葉を、時折思い返す。






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