ばっちゃんの声
私の祖母「ばっちゃん」は、数年前から何処にいるか分からなくなっていた。
そのばっちゃんと、電話ができた。
嬉しいのか戸惑いなのか、自分の感情が追いつかないまま、ばっちゃんの声が耳に飛び込んできた。ばっちゃんの声が、私の知ってるばっちゃんの声で、安心して力が抜けた。
ばっちゃんが居なくなったことを知ったのは一年半前。
もともと、祖父母と会うのも年に1〜2回だったし、
私が会いに行ってもばっちゃんが居ない時はあったけど、「買い物行ってるから」と当たり障りのない理由を聞いて納得していた。
一年半前、「ばっちゃんが帰ってくるまで待ってる」と粘って初めて、ばっちゃんがもうここには居ないことを、知った。
どうやら行方不明や病気とかではなく、「大人の事情」らしい。
この件に関しては誰も口を利いてくれず
「大人の事情」としか教えてくれなかった。
祖父母には祖父母の、親には親の、よほど知られたくないことがあるんだろう。
それでも何かあったらと考えると連絡先と住所くらい教えてほしいものだ。
なぜだが、ばっちゃんは自分の居場所を誰にも教えていないらしい。
あの手この手で探して、ばっちゃんと電話することができた。
きっかけは、曾祖母のばぁばぁちゃんが亡くなったことだった。
そのことを知らされたのもお葬式など全て済んだあと、人づてに、だった。私たち"子ども"には何も知る権利がないらしい。曾祖母と最後に会ったのは恐らく小学校低学年の時だったと思う。もう顔も覚えてない。
こんなにも待ち望んでいたばっちゃんとの電話の背景に、ばぁばぁちゃんの死があることにとても複雑な気持ちになった。
誰かの死が途絶えた縁をつなげてくれることもあるのかと、思った。
亡くなった人と話すことはできないけれど、
ばっちゃんとは話すことができる。
色んな事情があるんだろうけど、
今、ばっちゃんと電話することはできる。
そこに居ることが当たり前ではなく、居なくなった時にどれだけ望んでも会えなかったことが、
"今"を際立たせた。
ばっちゃんは例えるならコテコテの大阪のおばちゃん。飴ちゃん配ってそうな人。
チャーミングで芯があって、とにかく笑い上戸。
ひゃぁ〜⤴⤴⤴っはーっはっひ〜⤴⤴⤴
って笑い声は聞くだけで元気になる。
「ばっちゃんなんてなぁ、もう歳で、なーんも楽しいことあらへんで!ななちゃんがな、お医者さんになることだけ楽しみなんやで」
とゲラゲラ笑いながら話す。
「でもな、まだ80やろ。ばぁばぁちゃんも99まで生きたんや。あと1ヶ月で100歳やってんで。長生きしたわ。ばっちゃんもまだまだ元気でな、病気せんとおらなあかんな」
としゃべるしゃべる。とまらない。
結局、ばっちゃんは最後まで肝心な居場所を教えてくれなかったが、電話番号だけ聞き出せた。
いわゆる独居老人であることを考えるとこの先心配も沢山あるけれど、
また電話をかけよう。