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二つのモンゴル帝国 〜文章を書くことの意味〜

あなたはモンゴル帝国にどんな印象があるだろう?

私はある時期まで、モンゴル民族は野蛮で残忍な遊牧民という印象を持っていた。中国からヨーロッパまで、ユーラシア大陸のあらゆる民族を武力で圧倒し、圧政し、世界を恐怖に陥れた苛烈な侵略者。馬に乗って半月刀を振り回し、荒野を駆け巡り、悪逆の限りを尽くす日々。文明の破壊者。秩序の撹乱者。「タタールのくびき」という言葉もあるし、「世界にはモンゴル人を見た者はいない。なぜならモンゴル人を見た人間は皆死んでしまっているからだ」なんてジョークもあるくらい、モンゴル帝国はやばかったのだ、と。

でも実は、モンゴル民族は、野蛮で残忍なだけの集団ではなかったことが、史実として確認されている。彼らは頭がよく、チームの統率に長け、合理的で、ストイックで、グローバルな視野と包括的な感性を持ち、様々な商業と文化を交流させ、醸成させる装置として、世界に大きな遺産を残した。ポジティブな側面も持ち合わせていたのだ。

・・・では、それなのになぜそんな認識錯誤が生じているのか。その背景には「文章を書くこと」が関係している

古来、中国はモンゴル民族の脅威に晒され続けた。繰り返し来襲され、完全に侵略統治された時代もある。中国人は当然、彼らに強い負の感情を抱いており、特にそれが結実したのが明の時代。統治者たちはモンゴル民族によって、漢民族が虐げられていると考え、当時の学者や文化人が、モンゴル民族が凶悪で低俗な未開民族であることを「漢字」で記述した。そしてそれは文献として保存され、日本にも届いた。日本人は、その中国の「恐怖と憎悪」のフィルターがかかった情報を史実と捉えたわけである。

しかし、近代になって、ソ連が中央アジア研究のため、ペルシャ語の文献から調査を進めると、まったく新しいモンゴル帝国像が浮かび上がってきた。中国人の捉えたモンゴルと、ペルシア人の捉えたモンゴル。どちらが正しいのだろう?

とにかく私が学んだのは、「どんな事実も情報として保存されなければ消えてしまう」ということ。私たちは、できるだけ多様な視野を持ち、できるだけ良質なプラットフォームで情報を保存しなくてはならない。だから私は今日もnoteに文章を残す。未来に向けて、世界の様相を少しでも正しく伝えるために。

#未来のためにできること

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