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人の話を聴くときの私のくせ

7つの習慣の、第5の習慣。
「まず理解に徹し、そして理解される」だったかな?
所属しているオンラインコミュニティの書籍実践で、今月はこの習慣に取り組む月です。

それで、人の話を聴く、ということに関して考えていて、自分のくせに気づきました。何のオチもない話ですが、書いておきます。

くせっていうのは、「常にバランスをとるように、『本当かな?』『相手の気持ちは違うのでは?』とか、ある意味疑いながら聴いている」ということです。
あっ、これは、友人とか、オンラインコミュニティのメンバーとかに対しては発動されません。
うーん、夫、あと、実母に対してかな。
こんな感じで話を聴いてしまうことが多いです。

実母に関しては、なんでかなーと考えていたら、過去の苦い経験に端を発してるのだと気づきました、というか思いました。
昔、自分が高校生とかの頃、ひんぱんに、母から親戚のぐちを聞かされていたんですよね。そのとき、「母はこう言ってるけど、本当にそうなのかな?相手には相手の思いがあるのでは?」と思ってたけど、口を挟む余地もなく、落語のように完成された母のぐちを毎回毎回聴いて?聞いて?いました。
その後遺症か、母に対しては、反射的に、「本当にそうかな?」と、思ってしまう。

夫に関しては、なんででしょうね。
ポジティブな話のときは、自分はそういう反応にはならないんです。
例えば職場のグチとか、ネガティブな話を夫がし始めたとき、つい、「でも、○○側にもこういう事情があったんじゃない?」とか言ってしまったり…。なんだろう、自分の中で、ネガティブな話でネガティブな側に盛り上がることへの恐れがあるようで、天秤がそちらに傾き過ぎないように、反対側に言葉を乗せようとする習性があるんです。

でもそれだと、結局、「批判的に聴く」って感じの態度になっちゃって、夫からしたら、気分悪いですよね。
だから最近は、自分のなかに天秤が出てきて反対側に言葉を乗せようとし始めたら、グッと抑えて、留めるようにしています。
ただ聴く。
むずかしいですね。

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