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「周りに聞いちゃって恥ずかしい」じゃなくて、「聞くことを判断したんだ」って思おう

えーと、今日これからの自分に向けたエールです。
手帳のウイークリーページに今、書き出したんですけど、noteでも書いておこうと思って。

今日ね、出社すると、苦手な業務が待っているんですよね~。
苦手というか、普段やらないから慣れてない業務が。
ふだんその業務をやっている人が不在なので、他の人が持ち回りでそれをやっていて、今日が私の番なんです。

慣れてないから、周りの人に聞きながら業務を進めることが予想される。
それが…心配!

手帳を書きながらね、心配心配って、何が心配なのか?って、自分の心に問うてみたんですよ。
そしたら、「あ、これ、分からない!」ってなること自体じゃなくて、「分からない!」ってなったのを周りの人に聞いて、「え、この人、この年次なのに、分からないの?」って思われること、それが恥ずかしくて嫌なんだ、っていう、自分の気持ちに辿り着きました。

これね。
前にも書いたことあるけど、ワーママの辛さのひとつですよね。
妊娠出産育児で時間を空けているうちに、ずーっと働き続けてきた人がその間に得てきた知識・経験を得ないまま、年齢だけ上がってる。そのギャップが、恥ずかしい…!!って思うの。

いや、ちょっと、自分を守るためにワーママを隠れ蓑にしたな、今。自分自身の歩みの中で、妊娠出産育児以前に必死に知識・経験をゲットしようとする熱量が足りなかった結果なのか、特定の分野に偏った経験としてしまったせいなのかもしれません。そこに、前述したワーママ事情も加わって、とにかく、「自信がないなコレ…」って分野が、あるんですよ。

恥ずかしい、っていう気持ちがメインなんだ。ってわかったので、自分に話しかけてみました。
「大丈夫だよ。今日の仕事の目的は何?お客さんに不利益にならないことを最優先にして、そのために必要な情報を得るために、周りの人に聞く。そういう判断を自分でした。判断力を発揮した!って思えば、恥ずかしくないよ全然!」

判断力がある。っていうのは、以前、少人数のグループワークの場で、他の方から言っていただいた誉め言葉。
そう思うと、「周りの人に頼りまくり」→「自分で、必要と判断して周りの助けを借りた、グッジョブ!」って、変換できるんです。

よし、これで、いってみよう。えいえいおー!

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