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感情労働、する側と受ける側両方から考える

考える、ってほどでもない話です。
ひょんなきっかけから、今日スタエフで話しました。
「自分の仕事のなかの、『感情労働』っていう側面、私にとっては苦手分野。でも、それを楽しく取り組める人もいる。その違いは?」
答えは出てないけど、私の場合は、ベクトルが「自分はどう思われるか」に向きすぎなのかな、っていうのは少し思いました。

で、そこから派生して、今度は、自分が、感情労働を、受ける側、になった場合のことを考えました。
っていうのは、小2の子と、学童の指導員さんや担任の先生との関係を見ていて、「この先生だから、楽しく通えてるな」「この先生だから、行事に参加できたな」ってことがあるから。

先生方にとって、子供たちとの関わりって、感情労働で、思うようにいかなくて消耗する面もあるだろうけど、でも、子供やその親の側からすると、たまたま、その場所にその先生が居てくれて、本当良かった!って思うんです。

だから…。
私の仕事の中の感情労働も、しんどいと思うこと多いけど、私の接し方次第で、「悪い状況であることは変わりなくても、心は救われた」みたいなことがあれば、それはうれしいな。

でも、自分の気持ちを維持するのが一番大事だから、やっぱり、どっぷり感情労働だけに浸かるのは危険かな、私の場合。

ああ、子供たち来ちゃったから、ここまでで!

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