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高知の八彩帖(ヤイロチョウ)6・「営林署」
かつてとある会社のサイトに連載していたショートエッセイです。ダブって投稿しているのもありますが、ご了承ください。
今回のテーマは「営林署」。高知県は林業が盛んな土地でした。森林鉄道が走り賑わっていた山は、昭和30年代をピークとして、だんだん衰退し、今は荒れ果てた跡が残されているのみとなりました。
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森林面積の割合が日本一の高知県。県面積の84%が森林だとか。昭和30年代の高知は、林業が花形産業だった。そんな時流に乗ったのか、ワタシの両祖父も共に営林署勤めをしていた。その縁で父母が知り合い、ワタシがいるという。まっこと山に足向けて寝れんちや。
今でも山に行くと、昔営林署の官舎であっただろう木造の建物に出会うことがある。どこの官舎も営林署独特の作りで、趣を感じる。母曰く。転勤族なのはやむを得なかったが、「官舎さん」と言われて結構ちやほやされたそうだ。
食料やちょっとした雑貨は、購買で手に入れる。しかもツケ払いで。ある時はどこからか見たこともないような2段重ねのケーキが回ってきたらしい。今はもう時効だろうが、袖の下だったのか⁉︎
乗り物はバイクが支給され、父はいつも家族5人(!)で乗っていたそうな(どこに誰がどう乗るのか謎)。おおらかな時代だったのを感じる。母方の祖父は「チョーカ」を履いてバイクにまたがり、山を駆け回っていた。「チョーカ」とは「長靴」のこと。舗装もしていない道なので、転んで大怪我をしたこともあったらしい。
時代は変わり、映画館やパチンコ屋があり賑わっていた山は今や、寂れた集落と化してしまった。何クラスもあった学校は廃校になり、営林署も無くなった。山を生業にしていた両祖父が亡くなって久しい。