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『切り咲きジャップ最終章〜臨終〜』終演に寄せて、作品とはまったく関係ない個人的なあれこれ

ストロベリーソングオーケストラ演劇本公演第69劇『切り咲きジャップ最終章〜臨終〜』が無事、全ステージ終演した。

ストロベリーソングオーケストラは、演劇と音楽を融合させた「見世物パンク一座」。

今回の公演も、劇場ではなくライブハウスで上演され、バンドによる生演奏や白塗りメイク、いわゆるアングラと呼ばれる作風など、個性的な特徴がズラリと立ち並ぶ。
しかし、アングラだからといってとっつきづらいかと言われればそんなことはなく、むしろ、いい意味でかなり「見やすい」作品だったんじゃないだろうか。
コメディ要素や会話劇要素もあり、脚本の筋書きは複雑に入り組んでいて考察しがいがあるものの、表面的な「カッコイイ!!」「面白い!!」という見方だけでも充分楽しめる、お得パック的な作品。

私は今回、複数の役を演じ、メインキャストたちを怯えさせたり賑やかしたりして、お得パックのお得感を強めるなどしていた(こんな解釈はきっと間違っている)。

1つの作品の中で複数の役を演じる、要するにアンサンブル的な役回りだった今回だが、いやはや、アンサンブルというのは奥が深いし、難しい。

昔、憧れに憧れて爆裂入部した大学の学生劇団で、私が初めてオーディションにて勝ち取った役はアンサンブルだった。
そこで、3年生の先輩から「アンサンブルの心得」を叩き込まれ、無事、副作用で殺陣恐怖症を発症するなどした私だが、
その時に叩き込まれた「アンサンブルの心得」は、私の中でそのまま「芝居の心得」となり、今でも役者としての私の根幹を支えている。
今回脚本を読んで、「これは要するにアンサンブルだな」と解釈した時、私の中であの鬼の3年生が顔を覗かせた。あの時に叩き込まれたアンサンブルの心得が、今また、火を噴くのである……!



アンサンブルの心得「ちゃんとやれ」

アンサンブルというと、「脇役でしょ?」「新人がやる役でしょ?」などと、舐めてかかる人がいるかもしれない。
だが、アンサンブルを舐めてはいけないゾ

たしかに、新人にアンサンブルを任せる劇団は多い。でもそれは、簡単な役だからではない。アンサンブルには、役者の基礎が詰まっているからだと思う。
芝居がちゃんとできないと、アンサンブルはできない。
逆に言うと、アンサンブルをきちんと務められたということは、芝居の基礎がそれなりに身についたということ。
だから、新人にアンサンブルを任せる劇団が多いのだろうと思う。つまり、「アンサンブルで芝居の基礎を身につけてこい」という、ライオンが我が子を崖から突き落とす的な、スパルタ的な発想。
アンサンブルは難しい。

前述した、憧れ爆裂入部の学生劇団では、こんなことをしこたま言われた。

たとえば殺陣の斬られ役を演じるとして、
「メインキャストの役者がどれだけ頑張って強そうに演じても、
斬られ役が弱そうだったら、そのメインキャストは強く見えない。
なぜなら、弱いヤツをどれだけ斬っても強さの証明にはならないからだ。
強いヤツを斬ってこそ、強さの証明になる。
だからアンサンブルは1人1人、きちんと剣の猛者でなければならない」。
入りたてほやほや、殺陣初心者の新入部員に「猛者であれ」とは厳しい注文だが、まァー、果てしなく正論だ。
強者たるメインキャストを強者たらしめるのは、斬られ役である我々アンサンブルの芝居なのである…!!!

別にこれは殺陣に限った話ではなく、いつでもそうだ。
アンサンブルは、作品の空気を作り上げる重要な存在。
今回の我々だって、いくら音や照明やメインキャストの演技が素晴らしくても、我々が下手くそだったら雰囲気ぶち壊れるものな。アンサンブルは、下手なことをすると、ほかの人たちの努力をクッソ台なしにしてしまう、おそろしすぎるポジションなんだな。ウワッ…コワィ……。

だからアンサンブルは、「ちゃんとやる」のが大事
めっちゃ当たり前のことすぎて笑っちゃうが、しかしこれが、芝居の基礎でもあるのだろうと思う。
足の上げ方ひとつ、顔の傾け方ひとつ、口角の上げ方ひとつで醸し出せる雰囲気があり、また反対に、ぶち壊してしまう雰囲気がある。
これがアンサンブルの心得であり、ひいては芝居の心得なんだ。たぶん。しらんけど。



鏡町での振る舞い方

まァ「ちゃんとやる」よう心がけるのは当然として、
では、今回の舞台となる鏡町で、我々はどのように振る舞うべきなのか。
「雰囲気を作る重要な存在」と言うけれども、今この場所で作るべき「雰囲気」ってなんなのか。
それを掴むのが難しい。
特に初参加(コンカイワタシハストロベリーソングオーケストラハツサンカ!)の場合は、本当に難しい。

思い出すのは、初めての読み合わせの日のコト……(回想に入る)

初めての読み合わせの日のコト

初めての読み合わせ!
の、その前に!
座長からは前もって脚本が送られてきていた。
読み合わせの前に目を通しておいてください、とのこと。
もちろん読む。

読む。

おも、し、ろ、い。

が、む、むずかしい……!!!!

なんだよこれ、結局こいつはなんなの?
これはだれ?あれはなに?
結局どういうことだったんだ?

その前に、この漢字の読み方がわからない、この言葉の意味がわからない。
自慢なんですが、私は子どもの頃から国語が得意で、センター試験(もう懐かしい響きですか?共通テストよ!)の国語は満点間近の192点、国語の教員免許も持っているから読み書きならばお任せあれ!語彙力には定評があるのに、それなのに、このザマである。世の中にはたくさんのコトバがあるんだなァ……ネットの辞書って大変便利。いっぱい調べながら脚本を読みましたとさ。

「こんな脚本をやり続けてきたなんて、劇団員さんはどんな人たちなんだろう……」と、
顔合わせの前、ドトールだかタリーズだかの店内で、コーヒーをチビチビ呑みながら、私は不安のどん底に突き落とされていた!

果たして稽古場へ向かう、向かうと、意外と皆さんの見た目は普通……(失礼)
どんな怖い見た目の人たちが集まっていて、どんな怖い話題で盛り上がるのだろうと怯えていたが、
全然、普通……(失礼&失礼)

そして、読み合わせ。

もう何年も役者をやっていて、読み合わせなんかもう爆裂にやっているのに、それでもやっぱり緊張する。それが読み合わせ。
しかも今回は初参加の座組で、しかも読み方わからん漢字いっぱい出てくる脚本で、知らん言葉の読み方は調べたけど発音まではわからんし、皆さんめちゃくちゃお芝居お上手やし(当たり前。失礼&失礼)、読み合わせ中、私はずっと「こんな感じで合ってるんか?」とおそるおそるセリフを紡ぎ続けた……。そう、私は、鏡町での振る舞い方がまったくわからなかったのである……。

暗中模索の読み合わせが終わり、色々と話が終わり、その日の稽古が終わった時、私は座長へコレカラヨロシクオネガイシマスと挨拶に向かった。すると、座長が一言。
「青草さん、声かっこいいデスねえ!」。
OK、この一言だけで、私はもうこの先4ヶ月本番までやっていけマス。
鏡町での振る舞い方?わからんが、とにかく声がいいと褒められたんだからたぶん大丈夫ダロ。
座長、その節はありがとうございました!
単細胞、青草、猫。

『なつみ』上演中止

8月。
ヨルノサンポ団第12回公演『なつみ』が上演中止になった。

ストロベリーソングオーケストラの稽古は7月から始まっていて、ヨルノサンポ団もだいたい同じぐらいに始まっていた。
どちらの座組にもお互いのことは関係ないんだけど、私の中では、2つの座組は自動車の両輪のように関連し合っていて、互いに影響を与え合っていたのだ。

その片方が、走りきることなく、途中で息絶えた。

ストロベリーソングオーケストラにヨルノサンポ団は関係ない。本当に関係ない。
でも、私にとっては関係があった。ストロベリーソングオーケストラの稽古で得た知見を、1人で勝手にヨルノサンポ団に持ち込んだり、ヨルノサンポ団で得た知見を、1人で勝手にストロベリーソングオーケストラに持ち込んだりしていたから。

8月。『なつみ』が中止になり、
私の心にはぽっかりと大きな穴があいた。

ストロベリーソングオーケストラの稽古に行くと、『なつみ』のことが自然と思い出される。

私たちは稽古をしている。
上演するために、稽古をしている。
『なつみ』だってそうだった。
時間をかけ、心を砕き、上演するために、稽古をしていた。
それなのに『なつみ』は泡となって消えた。

ストロベリーソングオーケストラの皆さんのことを信頼していないとか、そんなことは一切ないのに、やはり頭によぎってしまうことがあった。
「こんなに一生懸命稽古しても、また上演中止になったらどうしよう」。

上演中止なんかそうそうあることではない。
『切り咲きジャップ』は、上演中止になんかならない。
ちゃんと臨終できる。
頭ではわかっていても、いや、身体も心もきちんとわかっていたのに、それなのに、それなのにどこかが何度も不安定になる。
「こんなに愛と情熱を注いで、また上演中止になったらどうしよう」。
「もう一度上演中止を味わうくらいなら、演劇なんかやらないほうがマシだ」。
やめたい、やめたい、やめたい。

あんなに好きだった演劇、
あんなに楽しかった稽古場、

それなのに、見える景色がガラッと変わった。

白黒で、イヤな浮遊感があって、
「セリフを覚えなきゃ」と脚本を開くたびに涙がこぼれ、
「稽古に行かなきゃ」と靴を履くたびに身体が止まる。
「『なつみ』を上演したかった」。
まったく関係ないストロベリーソングオーケストラの稽古場で、私の心は涙を流し続けていた。
今年の夏はやけに長くて、なかなか終わってくれなかった。

季節は廻る

それでも夏は終わる。
そして秋はやってくる。
なかなか終わらないな、と思っていても、
この暑さ永遠に続くんじゃないか、と思っていても、
永遠なんかない。
いくら夏が好きでも夏は終わるし、
いくら朝が嫌いでも朝はくる。
季節は廻り、秋はくる。
『なつみ』に関する私のポストはどんどん下へ流れていき、
『なつみ』のことで散々ケンカしたあいつとの口論も落ち着いていき、
私たちは日常へ還り、
ストロベリーソングオーケストラ『切り咲きジャップ最終章〜臨終〜』は、そんな夏の痛みを呑み込んでくれるほど、強靭な世界観をもった濃い作品だった。
強度のある作品でよかった。
強い座組でよかった。
私1人の心の傷などで壊れる気配はまったくなく、
むしろそんなもの、愉快な爆音でかき消してくれた。

夏美のことを忘れたわけではない。
胸が痛まないわけではない。
でもそれは、切り咲きジャップに本気を出さない言い訳になどなりはしない。
胸が痛んでも、痛むなら痛むなりにできることがある。
私は鏡町に呑まれていき、私を呑み込むだけの強度が鏡町にはあった。

いつしか私は家で脚本を開けるようになり、
家で練習できるようになり、
稽古場に行くのも怖くなくなり、
普通に、普通に、
今までどおりの「役者・青草猫」に戻れた。

そんな強さをもったストロベリーソングオーケストラと『切り咲きジャップ最終章〜臨終〜』に対して、私は敬意を表するとともに、心から感謝する。

声とんだ

こんなこと言っていいのかどうかわからないけど、ちょっと言いたすぎるから言っておく。
本番中、私、声とんだ。

人生初の体験。
本番中に声がとぶ。
たまに声がとんじゃってる人を見かけることはあったものの、
あれがこんなに恐ろしいことだとは知らなかった。

私はのどが弱く、空気が乾燥する冬には、かならず1回くらいのどを痛める。
だから人一倍、のどには気を遣っているのだが……
今回ついに、やってしまった。

のどがとんだ時の詳しい描写はまた別の記事で書くとして(そのうち)、とにかく私ののどは刻一刻と悪化の一途を辿った。
「声が一切出なくなったらどうしよう」という強烈な不安を抱えながらも、とにかくできることをやっていく。
さまざまな創意工夫や各種のど飴、しょうが湯、響声破笛丸、あと耳鼻科の薬と座組の皆さんの温かいサポートによって、なんと、なんとか!千秋楽の最後のセリフまで、自分の声でしゃべることができた。よかった。本当によかった……。

千秋楽後、最後のシーンが終わってステージ裏に捌けてすぐ、のの華さんが私の頭を撫でて「よく頑張った」と言ってくれました。
それでもうすべての緊張の糸が切れた私は、主役を差し置いてボロ泣きするところでしたよ、危ない危ない。
ちがうねん、千秋楽後に泣くとしたら黒田かキス、あるいは座長(泣かなさそう)とかやねん。間違ってもおまえちゃうねん。
という関西ツッコミ魂のおかげで、ギリ、泣かずに済みました。華さんの包容力エグい!!

でも今回、包容力エグかったのは華さんだけではない。
座組の皆様全員が温かかった。
すべて挙げたらあまりにも長くなるので割愛するが、本当に、おひとりおひとりが温かくて、優しくて、私はずっと感動していました😭
優しさで何回も泣きそうやったわ😭

そして、そんな優しすぎる皆さんは、優しいだけでなく、のどに役立つ有益な情報も大量にシェアしてくれました!!

それもまた、世の演劇人諸君に共有すべく、別の記事で一挙にご紹介するぜ!!
みんなには!!こんな思いをしてほしくないから!!!!

役者とは

今回、小屋入りと同時にのどを痛めてしまい、本域でセリフを言うことが叶わなかったので、私としては非常に悔しい気持ちが残っている。
「本域でセリフを言えなかった」なんてこと、お客様に対して、というか世間に対しておおっぴらに言うべきではないだろう。
でも今回の舞台を振り返るにあたって、声をぶちとばしたことに触れないのは難しかったし、皆さんの温かさはおおっぴらに言いたかった。だから言う。お客さん、ごめんね。

でも、「のどを痛めたから本域でセリフを言えなかった」ということと、「本気を出さなかった」ということはまったくもってイコールではない。
私は常に本気だった。
『なつみ』上演中止のショックで不安定になってしまっていた時も、
声がぶちとんで思うようにセリフを言えなくなった時も、
私はいつだって手を抜かなかった。
振り返って、自分の行いに対して、私は自信をもってそう言える。
そしてそのことを、誇りに思う。
もちろんまだまだ未熟であるし、役者としてもっと精進していかなければならないのだが、私は常に本気だった。
私をいつも応援してくださっている皆様、今回ご観劇くださった皆様も、ぜひ誇りに思っていただきたい。私たちは、きちんと本気だったのだ。

そして今回、「本域でセリフを言いたい」という自分の欲求を抑え込み、「最後まで声を出すこと」を優先した自分自身のことを思うと、「私はきちんと役者だったのだ」と私はふと安堵する。
「本域でセリフを言いたい」
そりゃそうだ。当たり前だ。
でも、物語は私のためにあるわけじゃない。
お客様に届けるためにあるのだ。
私のもっとも重要なミッションは、
本域でセリフを言うことではなく、
最後までセリフを届けること。
たとえ、いつもどおりの声じゃなかったとしても、
たとえ、いつもどおりの演技じゃなかったとしても、
座長の書いた大切なセリフを、1ステージ目のお客様だけでなく、最後のステージのお客様にまで、しっかりと伝えること。
それがもっとも重要なことであり、
私の演技がいいとか悪いとか、
私の声がいいとか悪いとか、
そんなことはまったく重要ではないのだ、と、
本当は褒められたいし自己を顕示したいという欲もぶっちゃけあるけど、
そんな自分の欲求を消せたこと、
それをもってして、私はきちんと役者だったのだと、私だけは私を褒めてやりたい。

まァー、そもそも声をとばすなという話なんですケドね(だから、私を褒めるのは私だけでいいんデス。だれも決して私を褒めてくれるナヨ!! )。
でも、そこまで厳しくしちゃうと、たぶんのちのち、だれか大切な人のことを責めないといけなくなっちゃいそうだから、そんな厳しいことを言うのはやめておこう。
自分を責めることは、他人を責めることにつながっていきますのでネ。

さみしい

なんかほんとに、切り咲きジャップ全然関係ないことばっかり書いて、もう6,000字超えてんな。なにしてんだろ?

なんにせよめちゃくちゃさみしいな。
毎週会っていた皆さんともう会えなくなること。
ようやく仲良くなってきた皆さんともう会えなくなること。
あのセリフの練習、
あの楽曲の練習を、
もうしなくてよくなること。
切り咲きジャップとともに過ごした4ヶ月、
その中で思ったいろいろなこと、
そいつらを舞台上にしっかりと置いてきたこと。置いてこれたこと。

もう会えないたくさんの役たち。
みんなのあの表情。
大好きなあのセリフ。
さみしい。
だけど、しっかりとお別れを告げられたこと。

さみしい。
だけど、最後まで、無事に上演できた。
上演できてよかったな。
本当に、よかったな。

『なつみ』のことがあり、
のどのことがあり、
「上演できる」が当たり前ではないと知った今の私には、
上演後のこのさみしさすらも、
とても甘美で、温かい。

切り咲きジャップ、
無事、臨終。


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