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雑記


すれ違う人や電車の乗客やマンションの光っている部分とかのそれら全部に脳があって意思があって生きているというのを認識するのが難しい。
好きな食べ物や嫌いな食べ物があったりなかったり、好きな音楽があったり、好きな色や思想や家族やペットや金や地位があるのを、頭でわかっていてもそれが本当だと認識するのが、難しい。


街を歩いていると足元には綺麗に並んだ石のタイルがあったり、綺麗なガラス張りのビルがあったり、横断歩道がしかれていたり、鉄板の塊が道路を走っていたりする。
その一つ一つを、人が1人やそれ以上でつくりあげていることを考えると、世界丸ごと全部怖くなる。
自分はこのタイルを並べたりビルをパズルみたいに組み立てたり、鉄の板を溶かしてくっつけたりしていないのに、生きているから。

会社があって、工場があって、そこには人がいて、機会もいるけど、目につく全てを人間が作ってるって思うと、自分がとてつもなくそれはもう言い表しようのないくらい小さく思えて、それが怖い。


小さい頃はよく母のてを握ったり匂いを嗅いだりしていた。
母の手はエタノールや漂白剤の匂いがした。
それを小さい頃の自分は「かあか、また鉄の匂いがするー」と形容していた。
小さい頃に母の手が好きだったのは、単純に目につく1番近いところにそれがあったからだと思う。

自分は今そばにいる人の手をよく見たり触ったりするらしい

雑記
2022/03/27.

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