「明日を生きたい、」
歩き慣れたこの一本道。
今この瞬間にも、通りすがる人々は
あたりまえに明日を生きたいと思っているのだろうか。
それとも、生きたいとすらも考えず、ただ明日も生きていることを、あたりまえに受け入れているのだろうか。
某小説にもあるように、生きたいと思える人生を生きるため、同士と暮らすことにしたように、帰りを待っている人、帰りたいと思える場所があるのだろうか。
私には信じられない。
そんなわけがないだろうと、顔も知らない人々にすがりたい気持ちと、この感情に気付かれたくない気持ちがぶつかり、私は目を伏せて歩く。
そんな私の横を子どもが通る。
"未来ある子の側を、こんな表情で歩いてごめんなさい。"
通り過ぎる名前も知らない子と親の背中に、
背を向けたまま心の中でつぶやいた。
私は今、どんな面をしているのだろう。
今日が雨でよかったと、心底思う。
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