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上がらない時は、音楽を聴け。


平日の昼下がり。
外は雨が降っている。

とくに外へ出かける用もない私には、
雨だろうが、曇りのち晴れだろうが、
はたまた雪だろうが、関係のないことだ。


しかし"しとしと雨"とはよく言ったものだ。
しとしと雨と聞いて、ほとんどの人類が
静かに雨が降っている様 を思い浮かべることができるらしい。

だが、音もなくゆったりと降る雨を見て
"しとしと"という擬態語に何の疑いもなくたどり着けるだろうか?

一体誰が、
"この優しく降りそそぐような雨は、
しとしと雨と名付けよう!"
と切り出したのだろうか?

こんなぶっ飛んだことを言い出す、
人類で初めてしとしと雨と表現した者は
きっととても心が豊かで、提唱者のような存在だったに違いない。


などと、どうでもいいようなことを考えるまでには暇を持て余し、
どうでもいいようなことを、
まるで自身の生きていく上での重要課題かのように熟考しなければいけないまでには、
気分が上がらないのだ。

思考を止めてしまえば、
忽ち憂鬱の波が押し寄せ、足元をすくわれ、
時には溺れてしまいそうになる。

そうなれば、
とてつもないエネルギーを消費することになる。
それはなるべく避けたい。

とは言え、脳をフル回転で活用し続けるにも限界がある。

既にドラマやアニメ、映画やYouTubeなどは
ニート生活序盤で見尽くし、
飽きてしまっている。
もちろんニートには、たまには外でランチ♪
なんてお金の余裕もない。

それに今は、絶賛真夏真っ只中。
灼熱の太陽の元を徒歩でなんて…
自転車でもお手上げだ。

何を言おう、私は四季の中で
夏が一番苦手なのだ。
いや、苦手ではなくこれはもう
嫌いの領域なのかもしれない。

もう、夏 というだけで憂鬱なのだ。


そんなこんなで外に出る気はまるきりない私なのだが、室内でできることには限りがある。
だが、何かをして気を紛らわせなければいけない。


そんな時私は、
なるべく明るく、楽しく、
つい身体が動いて踊り出し、
口ずさんでしまうような楽曲を流す。
もちろん、この住宅街の中で許される範囲の大音量で。

そして、歌いたくもないのに歌うのだ。
ついでに身体も不器用ながら動かしてみる。

この時の注意点は、鏡は見ないようにすることだ。

あまりにも見ていられない自身の
へなちょこステップが、
一瞬でも視界に入ってしまうと、
一気に現実に引き戻され、
自分は何をしているのだろう、と俯瞰し冷めてしまうからだ。

この時間を最大限に楽しむために重要なこと。
それは、あほになりきることだ。

音楽に酔いしれて身体を揺らし、
無理やり口角をあげ、目を細めて大声で歌う。
上手く歌うことだけに集中する。
途中、猫を抱っこして一緒に踊ってみたり
その場で三半規管を動揺させにいく勢いで、
両腕をあげてくるくる回ってみたりもする。

すると、次第に疲れて倒れ込み、
あほなことをしたもんだと
笑いが込上げてくる。

その後は、いつもなんだかんだ乗り切れている。

だから、私は自分にこう言う。


上がらない時は、音楽を聴け。



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