うちのばあちゃんがしんどい。
どっかで見たようなタイトルだなあ・・。
うちのばあちゃん(80と余年)は、はっきり言って超人。
女性の社会進出がまだ軽視されていた時代から美術の講師になり、体が弱い大手勤めのじいちゃんの世話を焼きながら子供三人を育てつつ母(ひいばあちゃん)の介護をしながら塾の講師で家計を支え、家を切り盛りしてきた
昭和の肝っ玉かあさん、それがうちのばあちゃん。
じいちゃんが定年退職後始めた農業を手伝いながら、書道・華道・茶道をたしなみ地元の料理教室の講師や陶芸・ヨガ・太極拳や様々な趣味に没頭し多忙な日々を送っている。
そんなばあちゃんの思考は超がつくほどポジティブで今でいう
バッキバキの陽キャ
ここまで見れば明るい陽気な超人ばあちゃんなのだが・・
・昔の偏った価値観にあまりにも染まりすぎている
多様性という言葉は辞書になく、ナチュラルに悪気なくLGBTや他人種を卑下するのでTVに映った黒人の赤ちゃんの映像を見て
「あらー、黒人の赤ちゃんって生まれた時から肌が黒いのね。可哀そう。」
というのを平気で口にしたりする。(実際はもっとドギツイ表現で言語化していたが、あまりにもひどいのでここでは若干ボカしておく
黄色人種たるアジアンの我々が世界でどういう扱い受けてるか知ったら卒倒するんじゃないかな。
30代なら家を買って車を買って結婚して子供がいて、年収がそれなりにあって会社ではそれなりの役職についてるべきでしょ?なんでできないの?
なんでだろううね~?僕が知りたい。
・「世間から見た自分」を異様なまでに意識する
せいぜい3代くらいしか続いてない、歴史も家名もない家で大した資産も土地もないのに、まるで名家の地主のような立ち振る舞いをし、誰も引き受けたがらない自治会長や団体の代表に率先してなりたがる。(実際になるのはじいちゃんだったりする)
田舎によくある「何の目的でおいてあるのかもはや地元の生き字引しかわからないような誰も管理してない地蔵」の世話をしている(誰も頼んではいない)が、年齢のこともあり、あきらかにばあちゃんのキャパシティーを超えている。それでも無理に管理しようとする。
地元密着型の個人商店(小さいスーパーのようなもの)の明らかに押し売りともとれるような強引な商売に「付き合いだから。可哀そうでしょ!」と裕福なふりをして世間体を優先させた結果、高価な食糧品を大量に押し付けられる。
・料理の量がおかしい。指摘するとキレる。自分は食べない。
料理が好きで人に教えるくらいには上手なのだが、作るのが好きなだけで自分はあまり食べない。アレンジ大好きで他人の好みは気にしない。作りたいものを作りたいだけ作る。その量もすごい。(上記の理由のせいもあるが)晩御飯1食分が我が家(3人)の2日分に相当する。食べないとキレる。自分は食べない。
「あんた若いんだから食べられるでしょ!?」「おなか一杯!?なんで!?(怒)」
こちとら30代よ。部活帰りの高校生じゃねんだわ。
最終的に食べきれないものは捨てる羽目になるのでもったいない、買う量や作る量を控えめにしてとやんわり伝えると
「売りに来たもの買わないのは申し訳ない!」「作ったんだから食べればいいじゃない!もったいないんだから!」
とキレる。自分は食べない。
買う量がおかしいので、作っても作ってもどんどん余り冷蔵庫にあふれた、賞味期限が年単位で切れた食料品を「もったいない!」と料理にして持ってくる。自分は食べない。
あふれた食品を捨てるとキレるので、じいちゃんが定期的にこっそり捨てる。
・他人の気持ちや価値観が理解できない。する気もない。
自分の価値観や考え方を第一にし、それが唯一絶対の正義だと信じているので、それを押し付けてくる。自分に対しても他人に対してもストイックなので他人の心を的確に抉り塩をこれでもかと擦りこもうとする。
じいちゃんはそれで病んだ。
遠くに住んでいる息子兄弟の家族には物理的な距離の問題上、比較的影響が薄いのだが、それでも露骨にばあちゃん家に来るのを嫌がるくらいだ。
遠いんだからまだマシだろうが。こちとらくっそ近いせいで影響力半端ねえぞ。
私は現在無職で未婚者で彼女いない歴=年齢なのだが、私が無職であることを私の全く知らない赤の他人に暴露され、私のパーソナルな情報をこれでもかと開示した挙句、孫と見合いをしないかと持ち掛けたことを事後報告で承諾を得てきた。
「○○さんところの娘さん、まだ結婚してないからあんたの結婚相手にどうかと思って~。いい子よ~、よく知らないけど。都会の子なんてダメ!田んぼも畑も出来ないし!なんたって地元の子よね~。あんたのことはね「仕事はしてないけど○○が出来て、彼女も出来たことないけど私の孫だからいい加減な出身じゃないことは保証するわ」って言ってあるの。地元の子だと安心ね!畑や田んぼはあんたたちがしなさい。これで安心!肩の荷が下りるわ~。私がいつ死んでも大丈夫!」
出自はともかく、うちは婿養子の息子なので、近くには住んではいるが、そもそも苗字も違うし継ぐとしても順番としては一番最後だし、大して資産も財産も土地もない普通の家だし
そもそも継がないし、畑も田んぼもやるつもりはない。
ともかく、私はまだいい。
30代無職、彼女いない歴=年齢のおっさんをお前の見合いの相手にどうだと恥ずかしげもなく言われた女性の気持ちになると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そんな事故物件を丁寧に断らざるを得ない女性の当時の心境とその場の雰囲気を想像すると、さぞかし地獄の様相を呈していただろう。
当たり前だが、もちろん断ったし相手からも断られていた。
自分がしている行為や言動が、宗教的にも世間の常識的に照らし合わせても、正しく良いことだと確信しているので他人にとって迷惑になっているとはこれっぽっちも思っていない。
もちろん善意でやってることだし、悪いことをしているわけではない。
わかりやすく言うと・・
魔女の宅急便で「あたしこのパイ嫌いなのよね」と言い放った孫の気持ち
あの孫だっておばあちゃんが嫌いなわけじゃない。
善意の暴走、親切の押し売り、ありがた迷惑
今、同じ状況になってよくわかる。あのおばあちゃんは自己満足を拗らせ、その自己満足の塊をあらがえない身内に押し付けて悦に浸りたいだけなのだ。
「いらないよ」「量を少なくしてよ」「ほかのものでお願い」
ありとあらゆる言い回しをしても、おばあちゃんの根本にあるのは
「自分がそうしたいからそうする」
頭に親切がつこうが善意がつこうが、結局真意はこれだけなのだ。
本当に善意で親切心があるのなら、相手の気持ちを尊重することが一番なハズだ。
散々文句も書いたが、私にとってのばあちゃんは彼女だけだし今までお世話になってきたことに多大なる感謝をしている。無職で結婚もしてなくて曾孫の顔を見せてやれない不甲斐なくて情けない孫であることは自覚してる。
それでも言わせてほしい。