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拝啓 15歳の私へ、30歳の私より ②

(15歳の私は、今思うといろいろと思い詰めてました。まずは第1弾から読んでみてください)

15歳の私へ
なんだかんだと、倍の時間を生きてしまいました。
中学1年の時、キャリア教育、という授業で、自分の人生の計画を立てたことを覚えています。友達が進学や就職の他に、結婚や出産の希望を書き入れる中、私の人生には結婚や出産する暇がない、と高らかに宣言しました。(今、思い返してみると、男子で自分の計画に出産のタイミングなんて書いてる人なんていたでしょうか。覚えてたら教えてください。)
30歳になった私は、あなたのプランでは、もうすでに青年海外協力隊の任期を終え、国境なき医師団に所属して、戦場や被災地で百戦錬磨の看護師になっているはずでした。
ごめんなさい、なってません。

今でも、ナイチンゲールは私の心のよりどころの一つです。
最近、『超人ナイチンゲール』という、新しいナイチンゲールの伝記が出版されました。タイトルの『超人』という称号がとてもいい。

著者の栗原さんは、ナイチンゲールの看護の思想をこんな風に語ってます。

私があなたに憑依する。私が個人じゃなくなっていく。あたらしい共同の生に変化していく。ひとりでは、決してかんじることがなかったような感情に衝きうごかされる。自分なんてどうなってもいいから、なんだってしてやりたい。がまんできない。おのずと手をさしのべる。やっちゃうのだ。

栗原康『超人ナイチンゲール』p.90

あなたにとっての看護は、個としての自分をより強くしなやかに生きる道かもしれない。でも、30歳の私にとっていま看護、というより、ケア、というちょっと広い言葉が人生のテーマになってて、ケアとは、人との関係性の中、共同性の中に立ち上がるものだと思っています。

今の私は、一人で生きることを突き詰めるより、人が人と共に生きることを突き詰めることのほうに、気持ちが向いています。

あなたは、いま、女として生きることについて、強い信念を持っていることを、私は知っています。ナイチンゲールのような超人に憧れる気持ちも、理解できます。
そんなあなたには言いづらいのだけど、実は24歳の時に結婚しました。そして、30歳の今、いつか子どもを産み育てたいなと思っています。
それでも15歳の私はまだ、30歳の私の心の中にいて、この期待外れな私の在り方に少し不満を持っているようです。だから一度、手紙を通して、あなたと対話をする機会を持ちたいと思いました。

結婚は人生の墓場だ 

15歳の私は、この言葉を言う男が嫌いでした。結婚は人生の墓場というより、女の墓場だと思っていたからです。

1人で生きて、誰からも支配されないことが、社会のゆがんだ部分にとらわれない生き方の一番大事な部分だと思っていました。自分の幸福に自分で責任を持つ、自分の生き方を誰にも依存しない、そういうあり方こそが私の生きるべき道でした。

だけど30歳の私は、誰かと生きることばかり考えているようです。
15歳の時の私が大切にしていた鋭さは、誰かが不用意に触れたらけがをしてしまいそうなぐらい尖っていた鋭さは、今の私には失われてしまったのでしょうか。

30歳の私は、鋭さを失ったとは思っていません。
むしろ、年々、鋭さは増していると思っています。
1人で生きることの鋭さ以外にも、自分の中に鋭さを見つけた、とも言えるかもしれません。
幸運なことに、私にとって結婚は墓場ではありませんでした。自分の鋭さを、そして自分のたいして鋭くない部分も、共有できる相棒としての夫をとても信頼し、頼りにしています。

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