とある母親の休日【ショートストーリー】
「じゃあ、行ってきます。お腹すいたら、二人でご飯先に食べててね。」
そう言って、かな恵は玄関のドアを閉めた。
マンションのエレベーターを降りて外に出ると、18時なのにまだ、陽射しが眩しく照りつけている。
「いよいよ梅雨明けかな…」
そう心の中でつぶやきながら、駅の方へ歩き出す。
今日は日曜日。
夕方一通りの家事を終えてから、かな恵は駅ビルに買い物に行くことにした。
園には通っていない息子と一日中過ごすようになって半年余り。二人でのんびりと楽しく過ごしていたはずだったが、梅雨時の体調不良からか、最近のかな恵はイライラしまうことが増えていた。
それを知っていた夫は、「後でちょっと買い物に出かけてこようかな。」とかな恵が言うのに反対はしなかった。
前に、息抜きのために週末の一日を夫と息子で出かけてもらったこともあったけれど、後から「本当は三人でお出かけしたかったんだ」と随分、息子にぐずられた。
それ以来は、土日の昼間に一人時間を取ることもちょっと気が引けていたのだ。
すっかり太ってしまって、どのパンツもウエストがきつくなってしまっていたから、ちょうど始まったセールで手ごろな値段の服を買おう、とかな恵は思っていた。
元々は服を作る仕事に就きたかったほど、ファッションが大好きで、若い頃はお給料のほとんどを服飾品につぎ込んでいたけれど、子どもが生まれてからは、好みだけで服を選ぶわけにはいかなくなった。
お母さんだから派手な服を着てはいけない、などという社会の目みたいなものに、気を使っているのではない。
気に入っている服は大事にしたいし、もしも子どもが何かこぼして汚れたりしたら、かな恵は絶対に嫌な気持ちになる。
でも、それで息子を怒るのは筋違いだ、と分かってもいる。
子どもは汚したりこぼしたりするものだ。
それは、自分でやってみようと挑戦した結果だったり、好奇心が溢れだした結果だから、本来は喜ばしいくらいのことだ。そして最初から上手くできる子どもなんているだろうか?
頭ではわかっているけれど、やっぱり汚されたくない。
とすれば、汚されても構わないものを着るしかない。
それから、公園や子どもの遊び場に行くのなら、一緒に遊べる格好で行きたい。
そうやって色々と考えると必然的に、動きやすくて、汚れてもじゃぶじゃぶ洗えて、もしもひっかけて破れたりしても、仕方ないか、とあきらめがつくようなものを選ぶことになる。
それでも服好きのかな恵は、心の底から割り切って、何でもいいや、とは思えない。
それは身に着けるものが、自分の気持ちを明るくもすれば、落ち込ませたりもするからだ。
さらに、肌が弱く、素材によってかゆくなったり、伸縮性のない服を着ていると肩が凝って頭痛までしたりするという体質的な条件も加わって、かな恵の服選びはかなりややこしい。
もちろん、経済的な制約も大きい。
買い物嫌いな夫や息子と一緒に行ってもタイムオーバーで何も買えないか、慌てて買って失敗してしまうのが常だった。
服にさほど興味がない人からすれば、時間をかけてあれこれ見て回るのは時間の浪費だろうけれど、かな恵は、たとえ買うべきものがなかったとしても、素敵なものをのんびりと見て歩く時間が好きだった。
買うためでもなく、仕事でもなくても、美術館で作品を観て楽しむのと同じように。
子どもが生まれて、母親になったからこそ、の喜びは、もちろんたくさんある。
だから、手放すものがあっても仕方がない、と一般的には言われている(ように感じる)。
でもそのことと、母になる前に持っていた愛すべき時間を持てないことをさみしく感じる気持ちは、矛盾しない、とかな恵は思う。
久しぶりの自由時間で、ただ自分だけの歩幅でのんびりと歩くことさえもなんだか嬉しかった。
めざす駅ビルの手前で、ふと、目に留まったお店があった。
そこの前は今までに数えきれないくらい通っていて、お店の存在も知ってはいた。
ただ、何となく敷居の高そうな(つまりは値段が高そうな)ショップだったのと、自分の趣味とは違う印象だったのとで、入ってみようと思ったことすらなかったのに、なぜかその時は気持ちが動いた。
店には他に一人もお客さんが居なかったけれど、店員さんはチラリとこちらを見て「いらっしゃいませ」と言っただけで、近寄ってはこなかったので、かな恵はほっとした。
かな恵自身が販売員の経験があったので、あちらの気持ちもわかるのだけれど、それにしても接客されるのは苦手だった。
特に、今年の流行だとか、売れているとか、全然こちらが求めていないことを話してきたり、商品を手に取ってみて、これは違った!と戻そうとした瞬間に「それ、可愛いですよね~」なんて声を掛けられると、他に気になるものがあっても、早々に退散したくなってしまう。
昔、東京で一緒に働いたことのある、先輩のカリスマ店員いわく、「まず、いらっしゃいませの後は、すぐに話しかけない。お客様が何を求めているかよく見ること。その日の服装はもちろん、店に入って来た時の視線、どんな風に店を見て回るか、手に取ったもの、それを良く観察した上で、最適なタイミングで最適な声掛けをするんだよ。最初の一声で、自分の気持ちをわかってるな、ってお客様に思ってもらえないとダメ。『ご試着できます』とか、そんなの当たり前なこと言ってちゃダメ。」
これはかなりハイレベルな話で、かな恵はまったく、この先輩レベルにはたどりつけなかったけれど、少なくともヘタな声掛けは、お客さんを追い払う行為、と知ってはいたから、できるだけ、押し付けがましくない声掛けや立ち位置に気をつけて、後は商品知識をひたすら勉強した。
大抵の人は、相手が言いたいことを聞きたいんじゃなく、自分が聞きたいことにちゃんと答えて欲しいだけなのだ。
そんな当たり前のようなことが、目先の数字にとらわれるとわからなくなる。
販売員としては結果を残せなかったかな恵だけれど、この先輩との会話は時間が経っても思い出す。
その日にかな恵が初めて入ったこのお店は、少なくとも、のんびりと見せてもらえそうな雰囲気だった。
店内で置いてある服をじっくりと見てみると、ここはかなり昔からあるちょっと個性的なブランドの品物をメインに扱っているショップのようだった。
鮮やかな柄や刺繍が特徴的で、最近明るいものを身につけたい気分だったかな恵は心惹かれたものの、普段はベーシックな無地の服ばかり着ているし、冒険するにはちょっと、いやかなり、値段がお手頃じゃない。
ただ、なかなか気軽に覗けないお店だったので、好奇心と、ゆったりした雰囲気が心地よくて、じっくりと店内を一周した。
すると、店の奥の方に並べられていた商品の中に、好みの色の服が見えて近寄ってみた。
それはTシャツが長くなったようなデザインのワンピースで、この店に置いてある他の服のように派手な柄はないけれど、後ろのすそ部分がレースになっていて可愛らしい。
この手のワンピースによくある、すとんとしたラインではなく、ゆるやかにAラインを描いて膝がしっかりと隠れる丈感。
胸ポケットや首元の切り替えなど、細かい部分まで丁寧に作られていた。
最初に目に留まった墨黒のようなグレーのカラーの他に、明るいカーキにも目を奪われて、すぐそばにあった鏡であててみる。
素敵。
久しぶりに好みど真ん中な服だ。
かな恵はドキドキした。
タグを見ると、お値段も勿論それなり、だ。
ラックに服を戻し、別の服をチラチラと見ながら考える。
気になる。
この店の雰囲気なら、試着してもきっとそんなに押し売りされないだろう…
そう思ったかな恵は試着してみることにした。
店員さんに声を掛けて試着室に入る。
着てみると、さらにいい。
苦しいところはどこもなく、かと言って、いかにもお腹周りが気になるから隠している風にも見えない自然なAラインが身体の線をさりげなくカバーして、スタイルアップしてくれる。
丈もちょうど良かった。
足が出過ぎることもなく、長過ぎて重たい感じもしない。
二色を試着したけれど、どちらも選びがたくて、ちゃんと働いていた頃なら色違いで買ってしまっただろうな、と思うほどだった。
でも。
今の私には、高価すぎるよね。
今の私には、無くてもいい、必要じゃない服だよね。。
かな恵はそう言い聞かせて自分の服に着替え、試着室を出た。
「ちょっと考えます」
そう言って、店員さんにワンピースを戻す。
小柄で可愛らしい、若い店員さんはさほど残念そうな顔もしなければ、急に無愛想な態度になることもなく、
「わかりました」
と、明るく答えてくれた。
「お店は何時までですか?」
諦めきれないかな恵はふと、そう聞いた。
店員さんの答えた閉店時間まで、そんなに時間はない。
でも、今日はとにかく必要なものを買わないと!
特にパンツは近所着以外、入るものがないという緊急事態なのだ。
梅雨時で体調がいまいちなかな恵は、息子と一緒にバスで少し遠出すると服の締めつけで気分が悪くなったりするこの頃だった。
「ありがとうございました」の声に見送られ、かな恵はその店を出て、普段行く手ごろな価格帯の店が並ぶショッピングビルに急いだ。
今日は家のことは夫に任せたとはいえ、店の方は閉店時間がある。
かな恵の住む街では、店舗の営業時間も短い。
百貨店など、日曜日は夜7時には閉まるのだ。
もっとも普段はそれで困ることなど全くないのだけれど、(そもそもこの街に越してきてからは、暗くなってから外を歩くことなど年に数回、お祭りの時やたまにの外食の時くらいのものだし、百貨店で買い物をすることもほとんどないのだから。)今日みたいに羽を伸ばしたい日には、閉店時間に急かされずにゆっくり出来たら良かったのに、と思う。
行き慣れた店では、ちょうどかな恵が余裕を持って履けるサイズで、デザインも色も、まぁ悪くないパンツが、セールになっていた。
必要なものだ、と思うと買うことに罪悪感がないのが、いい。
でも、『必要』って一体なんなんだろう。
『必要じゃない』ものを買うのに罪悪感を感じるのはどうしてなんだろう?
『必要じゃないものにお金をこと』は、悪いことなのかな?
子どもと思い切り遊べなくてもしょうがない、と思えば、数枚あるロングワンピースで、外出することは出来るのだから、今買っているパンツすら絶対的に『必要』とは言えないのかもしれない。
もちろんお金は大事なものだし、貯金は必要だ。
未来の『必要』のために。
でもわたしたちは『いま、ここ』に生きている。
笑ったり泣いたり、楽しんだり、喜んだり、悲しんだり、辛かったりしながら。
綺麗なものにドキドキしたり、どうにもならないやるせなさで胸が苦しくなったりしながら。
未来は今の積み重ねで、出来ている。
ふと、わたしが憧れているセラピストさんの最近のツイッターでのつぶやきが頭をよぎる。
『自分を喜ばせていいんだよ。好きな服を買ったっていいんだよ』
(まぁ、もちろん、破産したりしない範囲で。ということだけれど。)
あれは、お告げだったのか?
かな恵は、さっきひとめぼれしたワンピースの店へと急ぎながら、考えていた。
わたしたちはなぜか、多かれ少なかれ『お母さんだから我慢しなくちゃいけない』という刷り込みを持っている。
そうして、そこは我慢しなくっていい、という部分で我慢してしまう。
そうかと思えば、子どもの当たり前の行動を大人本位な思いで叱り飛ばしてしまったりもする。
そこは我慢できない。
色んなことが、何かボタンを掛け違えたように、ずれているのだ。
お店に着く直前、かな恵は思う。
どちらの色も素敵だったけれど、二枚は買えない。
カーキ色を買おう。
明るい気持ちになる方の色を。
それを着て、家族で出かける時が楽しみになる方を買おう。