生きづらい母、放送大学へ入学する
昨日、放送大学に出願申請をした。
通信制大学に行く事はもう半年以上前から考えていて、パンフレットはいくつも取寄せてはいたのだけれど、その中に放送大学はなかった。
放送大学を本格的に考え出したのは、なんと、一週間程前の事。
そしてその直前まで、結局この春どこかの大学生になるのは見送ろう、と思っていたのに、我ながらびっくりする急展開だ。
放送大学では、とりあえず、全科生として卒業(学士取得)を目指す。
「とりあえず」と書いたのがまさに放送大学に決めた理由で、「とりあえず」走り出そうという気軽なこの気持ちに至るまでの葛藤を、ここに書き留めておこうとおもう。
もう挫折したくないプレッシャーで動き出せない
大人になってから、仕事やら家事育児やらを抱えながら4年間(高卒で学士を目指す場合は最短4年、そして多くの場合それ以上かかる。)学業を頑張るのは、ある程度の思い切りというか勇気、または気合いみたいなものが必要な気がしている。
特に、継続する事が苦手、いつも中途半端で挫折してしまう、と感じている私にとって、何よりの心理的なハードルは「またやり遂げられなかったら、そんな自分にウンザリしてしまうという怖れ」だ。
まさにその怖れにおののいて、検討していた通信制大学入学を私は保留にしようとしていた。
過去の、挫折ですらない挫折経験
希望の進路に進めなかった過去
実はわたしが通信制大学に挑戦するのは、これが2回目の事。
高3で進路について激しく親とぶつかり、さらに失恋して病んだわたしは不登校になり、受験どころではないまま、何とか卒業だけはした。
当時、私が一番進みたかったのは服飾の専門学校で、迷うとしたら他の候補は家政大の服飾科だった。でも、「そんなものは大学でない、とにかく文学部とかふつうのところへ行け!」一点張りの父とは最後まで平行線だった。
当時、普通科ながら様々な専門コースのある高校の生徒だった私は、家庭科室で行われる授業ばかり選択し、ブラウスや浴衣を縫うのに明け暮れていた。
そして40代になった今でも、私はファッションが大好きだし、趣味で服を作る。
だから高校の時に進みたかった道は、一時の気の迷いではないし、それにたとえデザイナーやスタイリストになれなかったとしても(勿論なれなかった可能性の方が大きいとわかっているけれど)あの時、自分が得意で好きな分野に進み、多少なりとも専門性をつけていたら、その後の自分の拠り所になってくれたんじゃないか?
そういうおもいは、今もなお消えない。
大人になってから服飾を学ぶことだって出来たはずなのに、それをしなかったのはつまりそれまでの事なんだ、と、自分の気持ちに折り合いをつけてはいるけれど、やっぱり、
「あの時なら出来たのに。」
とおもってしまう自分がいる。
最初の通信制大学へのチャレンジ
そんな風に高校を最後に学業を終えたことに、長い時間が経ってからも自信が持てない私が最初にチャレンジしたのは、何故か芸術大学の通信制だった。
それは既に10年以上前のこと。
まだ今の夫と結婚前で、東京に住み、社員として働いていた頃だった。
(人生で唯一の正社員時代!)
30才でいまさらデザインを学んでも…という思いもありつつ(今思えば、全く「いまさら」ではなかった。)、観て楽しむだけの美しい物を自分ても作れるようになりたい気持ちの方が優って入学を決めた。
ホームページを作ったり、自分で撮った写真を合成したり。
初めての体験ばかりでスクリーングは楽しかったけれど、フルタイムの仕事をしながらまるまる週末を勉強にあてないとならない暮らしは体力のない私には厳しくて、すぐに破綻。
わずか一学期であっけなくリタイアし、その後は鬱がひどくなって入院まですることになる。
頑張れない自分が情けなくて、10代の終わりに心療内科で医師に言われた、
「やりたいことがたくさんあるのにからだが弱くてかわいそうにね。」という言葉がこの時も頭の中でこだましていた。
その医者は単純に、かわいそう、と思って発した言葉なのかもしれないけれど、私にとってそれは、「あなたはやりたいことがあっても出来ない人だね。」という呪いのようになって、数十年経っても心のどこかに引っかかっている。
それでも、やっぱり。
大学に行きたい
そんな苦い過去を持つ私が、10年経って性懲りも無く目指そうとしたのは、今度は一転して、福祉の分野だった。
ちなみに私の弟が最重度の知的障がい者で、我が子はASD診断を受けている。
いわばどっぷり「福祉のお世話」になる側の人生。
そんな中で、残念ながら、私は「福祉の専門家」にあまり信頼と期待を寄せていない。
もっと言えば、福祉の専門家に限らず、やっぱり私は「人全般」を信頼できないんだと思う。
それはほんとうにとても残念でならないのだけれど、生きているうちに人に対する不信感を何とか取り除きたいと願ってはいるけれど、でも信頼できない。
今のところ、それが現実だ。
そして私固有のそんな問題を脇に置いても、やっぱり「信頼出来る福祉の専門家」に出会えることは一つの幸運であって、そう簡単な事ではない、とも感じている。
専門家を信頼出来ないけれど専門家の知識が必要な人は、自分が専門家並みの知識を身につけるしかない。
わたしはそうおもっている。
(それがもしかしたら、より一層、頼れる専門家と良い関係を築く邪魔になることも薄々気が付いてはいるけれど、それでも。)
人は、理想を追いつつも、とにかく今自分ができることをするしかない。
そんな訳で私は、数年前から、子育て、発達などに関する本を山のように読み、複数の講座を受け(時にはその為に新幹線利用の距離まで通った)、かなりの知識を身につけてきた。
でも、悲しいかな、学校の先生や専門家から見れば「なんかやたら勉強してる(面倒な)ただのお母さん」でしかない。
国家資格を持っているとかそういう事でないと、意味ある意見として聴いてはもらえない。
そんな風に感じて、今からでも目指せそうな何かを探して、これなら、と思ったのが社会福祉士と精神保健福祉士。
(臨床心理師や公認心理士も考えたけれど、この時点では、院まで行かないとならないから無理、と却下。でも放送大学入学でまた浮上する。)
でも、踏み出せない
その取得方法について調べ、通信制福祉大学の資料請求をした。
内容だけで言えば、一番惹かれたのは東北福祉大学。
社会福祉士の受験資格は勿論、心理学関係の基礎資格である認定心理士も上手くすると取得出来そうな所が魅力だった。
ただし、同じ東北とはいえ、私の運転技術では日帰り出来る距離でなく、体力的費用的にも負担は大きそう。
そしてレポート提出が多い印象なのも心配になった。
もう一つ、良さそうと思えたのは、日本福祉大学。
卒業率が高く、Web試験でテストが受けやすそうなのが魅力だった。
こちらは福祉経営学の学士取得になる学部で、既に私が持っているFP資格や福祉用具専門員などが単位に認定されるのも何となく嬉しい気がした。
こちらはスクーリング会場が更に遠いものの全国複数の場所で開催しているから、転勤族の夫がいる私にとっては(最短でも4年間という長丁場になるだけに)転居しても続けやすいかもしれない、などと思ってみたりした。
それでもやっぱり、よし!やるぞ!と思い切れない。
今、じゃないのか?
民間講座を受けてもそれなりの額がかかるし、本だって全て地域の図書館にあるわけでもない。
それならば、いっそ、大学で体系的に学んで国家資格も取れば、関わる人たちからの眼差しも変わるだろうし、もちろん自分の学びにもなる。
それでも。
挫折体験を思い出すと、なかなか踏み出せない。
そもそも一番やりたい事はそれなのか?と訊かれたら、他にもやりたい事はたくさんあるんである。
せめて通勤できるくらいの距離でスクーリングが受けられるなら、かなり負担は軽くなるけれどそれは叶わない。
出来ない理由を探しても仕方ないと思いながらも、やっぱり新幹線+泊りがあることを考えると思いきれなかった。既に民間の資格取得のために遠方への出張?を実際に体験して負担を体感しているだけに尚更。
じゃあ、これは今やる事じゃないんじゃない?
「違うことをしないこと」ってばななさんも言っている。
ここまでの労力をかけて今やるのは、「違うこと」かもしれない。
これ以上歳を重ねたら、ますます頑張れなくなるんじゃないか?って思ってたけど、そして、実際そうなのかもしれないけど、それにしても今年じゃないかもしれない。
そして、できるとき、が来ないとしても、それが私の人生なのかもしれない。
いま、走り始めるための、放送大学
そんな風に、気持ちがじりじり後退してほとんど「今年は保留モード」になっていた2月の終わりの土曜日に私の目に飛び込んできたのが、放送大学のネット広告だった。
あのタイミングで、その広告を表示してくれてありがとう、Googleさん。
実は、放送大学には一年前から知人が通っていて、ずいぶん前に私も調べてもみたけれど、その時は社会福祉士受験資格を取れないから、割とすぐに候補から外した。
でも、よく考えてみたら今の私にとって、「とりあえず」走り始めるのに放送大学はぴったりだった。
当たり前ながら、少なくとも大学卒業が前提になる資格を取るには、大学を卒業しないといけない。
それなら今の私の状況で、一番早く負担が少なく始められることを始めるのが、大事じゃないか?
ふと、そんな考えが頭に浮かぶと今まで悩んでいた気持ちが一気に晴れるような明るい気持ちになった。
放送大学はスクーリングの必須単位数が少なく、しかも、在学中のどのタイミングで履修してもいい。
(いわゆるスクーリングである「面接授業」と、自宅で受講できる「オンライン授業」合わせて20単位を卒業するまでに取れればOK。)
スクーリング会場は、全ての都道府県にあり、今住んでいる家の最寄りだと頑張れば歩いて行ける(30〜40分)程の近い距離にある。
例えば上手いこといって放送大学を4年で卒業出来たとする。
その時にはまた住む所もその後の見通しも変わっているだろうし、そこで環境が整って(さらに気が変わっていなければ)福祉大学の3年次か4年次に編入する手もある。
福祉大学に一年次入学できる条件が整うのは何年後かわからないから、もしかして、それを待つよりこっちの方が最短ルートかもしれない。
もちろん最短で卒業出来なくたって、いつ始められるかわからない時を待って何もしないより、ゆっくりではあっても前進できる。
放送大学は学期ごとに受講科目を登録するシステムで、最低でも1科目(受講料は11,000円)登録・支払いすれば、その他の費用は一切なしで、最長10年間在籍させてくれるという。
放送大学のサイトやTwitterの口コミ・卒業生や在籍中の人が発信するYouTubeなどで調べながら、色々考えていくうちに、私の心はどんどん気軽になっていった。
そもそも資格取得の難易度から諦めた心理学だけど、元々民間スクールで学んだり本を貪り読んだり興味関心は大ありだ。
放送大学では認定心理士要件も満たせるし、公認心理士の学部での必須科目も受講出来るし、福祉系の科目もけっこうある。
10年あれば、何とでもなる気がした。
学びたい気持ちと、挫折したくない気持ちのはざまで身動きが取れなくなっている私が今、踏み出せる小さな一歩がこれだ、と、おもった。
自分なりに、始める。
こんな風に書くと、「やっぱり始めるからには強い目標をもって、必ず何年で卒業するぞ!と心に決めて、なんなら周囲に宣言して自分を追い込まないと!」なんていう意見も聞こえてきそうな気もする。
でも、強い目標設定がプレッシャーになってそもそも始められないくらいなら、かるーく軽く、走り始めた方がいい。
少なくとも、私にとっては。
走り始めてみて「あ、違った」と感じたら、やめたっていいんだ。
子どもにはいつも言っている。
「やってみたいなら、やってみれば?」
ひとになら言えるその言葉、自分にかけるのは難しい。
「違った!」のサインを無視しないように気をつけながら、まずは「とりあえず」卒業を目指すことにしよう。
そんなかる~い気持ちで、この春、私は放送大学に入学する。