『モノノケ記』 - 3話

彼の話はこうだ。

モノノケ記を記載している原本は行方が分からず、原本通りに写した写本は、作られては消失を繰り返した。不思議な現象に困り果てた役人たちは、神道ゆかりの伊勢神宮に行き神職に写本を見せると、神職はモノノケ記のページを破り捨てそのページを祓い、写本を役人に返すとこう言ったー。
「以降、モノノケ記を記すことなかれ。さすれば、写本に祟りこず、永劫守られる。」
役人はその旨を天皇に伝え、以降モノノケ記が書物に書かれることはなくなった。モノノケ記は天皇家の子から孫へ口伝されていったが平安時代末期の武家社会が訪れる頃にはそれを覚えている者はいなくなった。

ヤマタノオロチから始まり、モノノケは姿かたちを持つことで民衆の娯楽の対象になった。が、その発生の原因を知るものはいなかった。しかし、唯一それを知る者たちがいた。それが神道・伊勢神宮を大本営とする「物部一族」だ。

物部一族は古来より神道を日本の崇拝する柱とし、日本における仏教の広がりを危惧した一族である。昔、モノノケ記を写本から排除したものの、その内容は一族の中で語り継がれていた。物部一族は天災が起きるたびにその原因を調べあげた結果、モノノケが関与していることを知った。

ーすべての天災はモノノケに起因する。
これが、物部一族が出した答えだった。

では、そのモノノケは何に起因するのか。
それは人が持つ憎しみや、妬み、僻み、恨みなどの”負の感情”だ。
負の感情が世界に溢れると、それを核に”モノノケ”が発生する。モノノケは生みの親を喰うことで死に至る。負の感情の発生源である人を喰らうことで世界からそれを消し去ろうとする。モノノケを生んだ人、その本人が死ぬのだから自業自得、被害がないと思うかもしれない。が、本当に厄介なのは負の感情が自分に対してだけではなく他人に及んだときだ。その場合はその他人を喰らう。モノノケは、生みの親や他人を喰らうことが出来ずに負の感情により肥大を続けるとやがて天災となり、無差別に人を襲うー。

と、彼の話した内容を頭で整理し理解しようとする彼女。

一息ついた彼はまたコーヒーをおかわりし、彼女は自分の紅茶に砂糖を加えた。

虎雅「この負の感情のことを”穢れ=気枯れ”と呼ぶ。」
蘇我「穢れ?」
虎雅「気枯れが発生するー、つまり気持ちが落ちている時、人は負の感情を持ちやすく、また人を”穢れている”と呼ぶ。この気枯れを晴れさせる日を”晴レノ日”と呼び、”晴れ着”を着せて祝う風習は今でも残っている。」
蘇我「へぇー。」
聞いたことがあるワードが出てくると妙に分かった気になるのは何故だ?と疑問に感じながらも話に納得する彼女。

カフェの入口が開き乾いたベルの音が聞こえた。春先なのに真冬のようなアウターを着た客がソファーに座った。

虎雅「そういえば、さっきの破れた紙...。あれはどこで手に入れたんだ?」
蘇我「あ、あれは、姉さまから頂いた紙です。」
虎雅「...お前、名字は蘇我だよな?」
何かを確かめるように質問をする彼。

蘇我「はい...。蘇我ですが....。」
虎雅「もしかして、家は寺か?」
蘇我「あ、はい。そうです!よくわかりましたね!学校の裏側、山の上にある寺は私の家です。」
虎雅「だからこの紙を持ってるのか...」
蘇我「え、それってなんかうちが関係してるんですか?」
虎雅「これは、”念紙”と言う紙で寺が所有している特別に念が込められている紙だ。」
蘇我「あー、なんかよくお経の時にその紙置いてますね。確か。」
虎雅「この念紙はお前に近づくモノノケに反応し破れたんだろう。救われたな。姉に感謝しとけ。」
蘇我「それが破れてなければ、異変に気づくのが遅れて私の首が無くなってたかもしれませんね...。」
あの体育館の光景を思い出し、戻ってきていた血の気が少し引く彼女。

蘇我「片山くんも田口さんも...無事だといいんですが...」
虎雅「そうだな。」
蘇我「そういえば、虎雅さんってうちと同じ制服来てますけど...」
虎雅「3年になった。お前の先輩だ。」
蘇我「あ、やっぱり。」

(どうりで上から物を言うわけだ...。助けてもらっといて失礼だけど、少し高圧的だし怒ると怖そう....。)

虎雅「あいつらの目が覚めたら、見舞いにでもいってやれ。」
蘇我「は、はい!」
慌てたように紅茶に手を付ける彼女。

そんな二人の会話をじっと見つめる真冬の格好をしている男。まだなにも注文せず、出された水は氷が溶け始めていた。彼は季節外れの服を着た男を気にするかのように視界から外さない。

虎雅「よし、そろそろ出るか。学校も落ち着いた頃だろう。」
蘇我「え、もしかして戻るんですか?今日はもう学校は休みって言ってましたよ?!」
虎雅「あぁ。だが、モノノケが発生した場所は穢れやすい。祓って置く必要がある。」
蘇我「別に、今日じゃなくても....」
怯えるように不安がる彼女。

虎雅「そして穢れている場所にモノノケはまた発生する。明日もモノノケに首を狙われたいのか?」
蘇我「行きます。」
渋々了承する彼女。

虎雅「まぁお前が来ても祓うのは俺だから、別に帰っててもいいぞ。」
蘇我「い、いえ!行きます!連れてってください!」
あの出来事があり、モノノケの話を聞いてしまっては一人心もとない彼女、不安を和らげようとしていた。

虎雅「じゃあ、ここの会計よろしく。」
蘇我「えっ!せめて割り勘!先輩でしょ!」
虎雅「命を助けてやったんだ。安いもんだろ?それともお前の命はコーヒーよりも価値が低いのか?」

蘇我「い、言い方がムカつくわー。」
虎雅「心は穏やかにしてろ。気枯れる。ちなみにそれ、声に出てるぞ。」
蘇我「はっ!」
彼女の心にしまっているはずの声は負の感情を伴って口から出ていた。

彼女がお会計を済まし二人はカフェを出た。
カフェを出ると彼は彼女の前を歩き、ビルの隙間を縫うように歩いた。

蘇我「あの!えっと、この道って学校に向かってます?!」
虎雅「いいから黙ってついて来い。」
学校のある方角にはどう考えても歩いていない彼に彼女はイライラしていた。ゆうに20分は歩いた頃、彼は突然立ち止まり彼女の方を振り向いた。

虎雅「しゃがめ。」
蘇我「えっ?」
彼の言葉を完全に理解する数秒前、彼が何かを手にし彼女の頭めがけて投げようとしていることに気づいた。彼の腕が彼女のほうに向かって弓矢のようにしなると同時に彼女はしゃがみ、手に地面の冷たさを感じた。

彼女の頭の上を何か鋭利なものが通過する。彼女はそれを目で追うことが出来ない。振り向く彼女。そこには分厚い冬用のアウターが地面に落ちていた。

虎雅「上。」
彼の言葉を耳で捉え彼女は上を向いた。
ビルの壁に囲まれた路地。そこにはあのブヨブヨとしたスライム状のモノがビルの壁にところどころ飛び散っている。さらに上を見ると、カメレオンのような手足を持った四足歩行の何かが壁に張り付いていた。頭はない。あの物体がなんなのか恐らく感覚的に分かっているだろう、しかし彼女は彼にそれを問うかのように振り向いて彼を見た。

虎雅「モノノケだ。」

彼の発した言葉が先か、モノノケがこちらに襲いかかってきたのか先か彼女には分からなかった。気づいたときには背中に地面を感じ、彼が彼女を押し倒していた。

蘇我「あ、あの、わ、わたし、ど、ど、どうすれば!?」
パニックになっている彼女。何が起こっているのかは分かる。モノノケが襲ってきて彼がまた助けてくれた。でも、次に何をすればいいのか全く分からない。モノノケはビルの壁に衝突し身動きが取れない状態でモゾモゾと動いていた。

虎雅「やつはまだ頭部が出来ていない。あの体育館のやつよりも力はないだろう。」
蘇我「ゆ、優劣わかんないですけど、とりあえず怖いです!」
彼女の手を掴み、彼女を立たせた彼。彼女の脚は腰が抜けたようにプルプルしていた。

虎雅「ところでお前、仏道はどこまで習得した?」
蘇我「ぇっ?」
彼女に一瞥もくれず、モノノケから目を離さない彼。

虎雅「念紙も知らないようだから、どうせ大したことはないだろうが。念の為に聞く。どこまでいった?」
ビルの瓦礫がバラバラとモノノケの体から落ち、徐々に状態を立て直すモノノケ。慌てる彼女。

蘇我「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ、くらいまでは覚えてます!」
虎雅「それは落語で念仏でもなんでもない」
モノノケはその前足のようなもので瓦礫を払い、こちら側に向きを変え始めた。

蘇我「3.141592…」
虎雅「それは円周率だ。」
モノノケと相対する二人。モノノケに頭は無いが、確実に目があったと感じる二人。モノノケは4足歩行の脚をカエルのように曲げ、勢いよくそして低くまるで弾丸のように突進してきた。

蘇我「え、だってそんな面倒なんで覚えてないし教わってないし一息でぶつぶつ言えば仏事っぽいしそれでいいじゃないですか!」
一息もつかず早口で話す彼女の言葉を聞き流す彼。
彼女が言い終わるよりも、モノノケが突進するよりも速く突然、

虎雅「飛ぶ。」
彼は彼女を右手で抱え込み、宙に浮いた。地面は彼女の視界から消え、代わりにビルの間を抜けた先50mの道路が目に入った。3階のビルの窓に映る彼と彼女。

蘇我「え、えーーー!」
下を見ると、遠い地面とモノノケが見える。体はまだ最高地点に達してないのか微かに上昇、しかし徐々にスピードが落ちてくる。こんな状況でも、彼女は意識的にスカートの中の下着を気にして恥ずかしそうにスカートを抑える。

虎雅「一応確認だが、さっきアイツってこのくらいの高さで張り付いてたか?」
蘇我「YESって言いたくないけど、YESですぅー!」
彼女の言葉と同時に目の前にモノノケが現れた。

蘇我「うわぁぁぁ!」
必死にしがみつく彼女を右手で支え、彼は左手をモノノケの前に伸ばした。モノノケはそのずんぐりとしたドブ色の体を捻り、勢いよく左の前足を回転するように鋭く横に一閃したー。


モノノケ記 3話 了

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